kanasenの『七転び八起き』

大阪の小学校教員かなせんです。「幸せに生きる」その力を育む場づくりを探求します。ともに歩み・ともに学び・ともに創る。モットーは「やりたいこと」に正直に

僕のやり方は、誠実なようで誠実じゃなかった。

 Twitterで「ブログの製本をお譲りします。」という趣旨のツイートをした。本音を言うとDMは「そこまで」こないと思っていた。(この考えがそもそも良くなかった)しかし、蓋を開けてみると20名以上の方からメッセージが届いていた。有難かったけど申し訳なかった。

 

僕の実践記録を読みたいと仰ってくださる方がいること、それ自体は嬉しいこと。だが、、、「抽選でお譲りする」という企画がいやらしい方法に感じてしまった。僕が1人を選ぶ。選ばれた方以外は希望するだけで終わる。なんか誠実じゃない。深く考え過ぎか。いやそんなことない。しるし書店も同じかもしれない。

 

もっとフラットに自分がやってきたことを共有することはできないか。そう考えたときに、やはりKindle本での出版が1番スマートだと感じた。理由はシンプルで、無料でどなたでも手にすることができるからだ。

 

改めてご希望された方にはメッセージを送らせて頂く。現在進めている出版企画とは別で、このブログ製本の内容を皆さんにお届けする方法を考えている。手立てはKindle出版か製本重版しかないのだが。

 

SNSを眺める時間をなくして、スピード感上げていこう。時間がなさすぎる。

 

あぁ、情けなかった。

ほんとうに浅はかだった。

分からなくなってしまった

私には憧れの先生がいる。

 

ここ最近感じるようになったのだが、その方のブログに書かれている内容が分からなくなってしまった。

 

何度読み返しても分からない。

いや、読みきる前に諦めてしまうのだ。

 

きっと大分と離れた場所にいらっしゃる。同じ視座で物事を眺めるには…それ相応の学びと経験値が必要なのだろう。

始動!Kindle本出版に向けて

 樋口万太郎さんからのお誘いで、『学び合い』をテーマにKindle本出版に挑戦することになりました。(田中光夫さんのエールもとても勇気づけられたました。ありがとうございます。)

 

個人的に『学び合い』×算数の課題について書く予定でいましたが、これを機に一気に進めます。これから『学び合い』にチャレンジしようとされる方を勇気づけられる一冊にしたい。全くの無名ですが、泥臭く現場主義を貫いた『学び合い』を書かせて頂きます。

 

期待してください!

『学び合い』の語りを探る③

『学び合い』の語りは「1人も見捨てないを実践できたか」を確認する時間。実践者によって例え方はそれぞれでしょうが、本筋はずれてはいけません。やはり「1人も見捨てず、全員達成を目指せたか」に尽きます。特に1時間で全員達成を目指す『学び合い』のときは特に。

 

その語りがよくわかんなくて、いや『学び合い』自体よく分かんなくなって、いろんな本読みあさって『学び合い』を科学するんだ!(違う角度から見つめる)とか息巻いていたときがあって。そのときに出会った本があります。

 

 

『学び合い』という言葉は一切使われてなかったんだけど、読み進める度に「書かれていること『学び合い』じゃん!」ってなったのよ。その中でこれ大事やなぁ〜って思ったこと。以下引用。

 

第4章 学力基礎を育てる日常指導より

最後に、教育的成果をあげるための教師の姿に言及しておきたいと思います。教育実践は、とかく教師が「どのようにやったか」で議論されがちです。しかし、「どのような」教師がそれをやるのかをきちんと見据えないと成功の確率は高まりません。何をするにしても教師が発言することが、「何を言ったか」や「どのようにやったか」と同時に、「どのような」教師がそれを言い、やっているのかを子どもたちは吟味しているからです。

・・・・(中略)

教育的性かは、「教師が何をやったか」で測られることはほとんどありません。それは、「子どもたちがどうなったか」つまり、子どもたちの変容で測られるのです。端的に言えば、教育的成果は、子どもたちの行動変容で測られるのです。力量のある教師とは、子どもたちの行動を変容させた教師のことを言うのです。 もちろん、それは外部からの強制ではなく、子どもたちの内面からの動き、つまり主体性に基づく変容であることは言うまでもありません。

とした上で、子どもたちの内面的な動き、主体性に基づく変容をもたらす方法論として、著者は教育現場で活用されているソーシャルスキルレーニングを紹介しています。

 

提唱者によっていくつかステップがありますが、主なものを並べると、図4-3のようになります。これらに共通するのは次の要素です。

①インストラクション

 言語的教示により、その行動の意味や価値を伝える。

モデリング

 やってみせることで、具体的なイメージをもたせる。

③リハーサル&シンキング

 解決策を考えさせ、練習させて、体験させる。

④トライアル&ウォッチング

 実生活の中で、その行動を試させ、そして見守る。

⑤フィードバック

 トライアルで見られた適切な側面を指摘し、強化する。また、不適切な面を指摘し修正する。いずれにせよ望ましい行為が増加するように促すエネルギーを与える。

 

つまり、子どもの主体的変容を実現することに成功している教師は、その日常の教育行為がソーシャルスキルレーニングの要素をもっていると言えるのです。

 

これを『学び合い』の語りと並べて考えてみると・・・

 

①インストラクション

 1人も見捨てない、全員達成がもたらす価値を伝える。

 それを実現させるために必要な行動やその意味を伝える。

モデリング(①に内包されるかな)

 子どもたちの姿や教師自身の体験談、たとえ話などを用いて、①で伝えた行動の具体的なイメージをもたせる。(子どもたちの実際のエピソードから語られるのが理想的)

③リハーサル&シンキング

 行動目標(5つのかける・5つのいく)をもたせ、課題解決に臨む。

④トライアル&ウォッチング

 授業中でその行動を試させ、見守る。良い行動も悪い行動も可視化する。

⑤フィードバック

 授業中に見られた適切な行動を指摘し、強化する。また、不適切な面を指摘し修正する。次回の授業で必要なことを考え、望ましい行動が増加するように促すエネルギーを与える。

 

語りも整理できるよね?

 

こうやって『学び合い』を他の先生方の言葉を借りながら、また再定義するという作業をずーっとやってます。きっと一流の先生方はこんな遠回りしなくても、『学び合い』を語れるんだろうな。この赤坂先生の本は、『学び合い』に興味のある人は是非読んで欲しい。

 

『学び合い』の抽象を理論立てて具体化する。その作業はそのほかの本を読むことで可能なはず。そのあとにまた抽象に戻れば良いんです。

 

あー不器用は大変だ。

 

※書き方のタッチは大分軽いです。悪しからず。

個に寄り添う『カンファランス』

1時間ごとの『学び合い』を経て、単元自由進度学習へと進んだクラス。教科書の基礎学習が終わり、テストまであと3時間。これまでの学習を振り返り、自分に必要な学習を進める時間です。この時間に差し掛かる手前で、単元計画表の振り返りをもとにした個別のカンファランスを進めています。

 

※単元計画表

単元計画が載っている一覧表。1時間ごとの課題に対し、自己評価として○△×をつけさせています。

 

「この学習の評価欄には△がついていたけど、復習はできてる?どんな感じ?」

「あー、そこは前の時間に復習した!何度も解いてたら、先生が教えてくれたこともわかったよ」

 

「振り返りに「割合が難しい。もっと勉強したい」って書いてあったよね。どんな感じで勉強する?一緒にやり方考えてみようか?」

「うん、そうする」

「まず、割合の問題は教科書の…ここにあるから…」

 

Twitterで話題になっているけテぶれ学習のように、振り返りから課題を抽出し改善を試みていく習慣が身についていれば、教師からの細かな働きかけは必要ないのかもしれません。が、大切なことは、振り返りを生かした学びを、自分で進められる子もいれば、伴走が必要な子もいるということを把握していること。そこに教師が必要な視点や技術を提供すること。

 

こんな話をすると、「それは『学び合い』じゃない!カンファランスしてる間、周りが見えないじゃないか!」という人がいらっしゃるんですけど…(この話、お決まりになってきてますね笑)

 

集団を動かすことばかりに視点がいくと、個が見えなくなること、私はあるんだけどなぁ。

 

 

『学び合い』の語りを探る②

このツイートに対して、西川先生がコメントをくださいました。

 

心のあり方とテクニックは両輪です。ただ、テクニックを支えるのは心のあり方。何度もここを見つめ直す自己点検の習慣は必要でしょう。

 

今回は西川先生の言葉がすっと腹落ちしました。何の違和感もなく、「そうですよね」と。不思議です。数年前に同じ内容の言葉を見て苦しんだ時期があって、そのときは見取りや声かけのテクニックを読んで、いろんな角度から『学び合い』を見つめ直していたんですよね。

 

西川先生は剣道になぞらえて、こう仰っていました。「剣の道は「心」なんていわれても分からない。まずは素振り。身体化されたとき、読み取れなかった言葉の意味が分かります。」と。

 

技術や理論が自分の心に内包されたとき身体化が起こる。それには膨大な時間が必要。だから試行錯誤しないと分からないわけだ。いたってシンプル。僕は心のあり方を見つめ直すためにたびに、『学び合い』に苦しみ、いろんな本を手にとった。そこで学んだことは誰かの役に立つかもしれないから発信していくつもりです。

 

さて、

 

自分の心はどこを向いているか?

 

求めている先端にあるものは何か?

 

子どもたちに仲間を与えたいのか。

 

テストの点数を上げることなのか。

 

スタートはいつもここでいたいですね。

 

『学び合い』の語りを探る

『学び合い』実践者の中には「全員達成まであとちょっとやったなぁ〜。明日は期待している。君たちなら大丈夫や!がんばろな!」という精神論的な語り「だけ」をくりかえして、集団が育たないパターンに陥る方がいる。教師がポジティブであればあるほど、その自体に陥りやすいのではないだろうか。かくいう私もそんな時期があった。

 

例えば、授業を見学してくれた管理職や同僚から「もうちょっとで、その教材の核心に迫る授業ができたと思う。でも君なら大丈夫。その気持ちさえあれば、きっと明日からも良い授業ができるよ。がんばってな」と言われるようなもの。

 

「え?で、どうしたら核心にせまれるの?」って言いたくなる。

 

とある運動会の練習風景。

「なんかなぁ、君達の気持ちが足りひんと思うねん。そんなんで周りの人、感動すると思うか?明日からもっと良くしていこうな。挨拶したらちゃんと水分はとりや!熱中症なるからな。では終わりましょう」

 

アドバイス、水分補給だけやん!って突っ込みたくなる。

 

この2つは極端な例だが…。

 

では、ポジティブなだけの語りを抜け出すために必要なことは何か。

 

それは以下の3つである。


①適切なアセスメント

②その場に応じたフィードバック

③リフレクション

 

教師の働きかけで子どもたちのメタ認知を機能させられるか。ここが抜け落ちてると、簡単に精神論的語りになるのではないだろうか。


この状態を「語りが弱い」や「語りが足りない」と表現する方もいるのでしょう。

 

語りって教師のあり方次第だ!ってよく言うのだけど、そのあり方が「どんなときも前向きに!」だけだと、結局説得力のないポジティブメッセージになるんじゃないかなと思うようになってきた。まぁ、私もまだまだなのですが。

 

今後も探っていきます。

 

教科書のワークシート集って便利!

教科書は東京書籍。ワークシート集に発展問題編というページがあります。

 

そこにこんな課題が!

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資料がすでに提示されているので、めあては統計的な見方による分析でしょうか。記録のみから資料を作成し、選手を選ぶという流れも悪くないですが、これはかなりハードル高め。課題レベルを設定して、やりたい子にはやってもらおうかなぁと思います。

 

ゼロからつくると大変なので、学校にあるリソースを有効活用して授業の質を上げていく。教科書会社のワークシートって結構使えるんですよね。 

 

 

自由な学びが欲しい

算数の単元も残すところ、「資料の調べた方」と「量の単位のしくみ」のみとなりました。それ以降は通年これまでに習った復習期間。30日ほどの日数です。これを教科書を順通り、全て復習に捧げるのはあまりにも単調すぎてもったいない。

 

「教科書にとらわれず、算数の見方考え方が身につく授業なら何でもよいよ。任せる」っていってくれたら超ワクワクするのに。

 

 

各自がテーマを決めてやるのも面白そう。いくつか候補は示して、それに対する計画を個々で立て学習を進める。領域は特定して、学び方をミックスする前提のプログラムもおもしろい。レポートを書きまくるチームや解き方をプレゼンするチームに分かれる。国語でいうと「書く」「話す」に特化したり、組み合わせたり。マルチプルインテリジェンスを知って、自分に合った学び方をデザインする。四則計算の基本が抜け落ちている場合はその練習に徹する。そこに「書く」「話す」の要素を入れて、学習課題をレベルアップすることは可能だしね〜。

ゆるい授業はやめよう

単元自由進度の段階に進んだとき。

協同的な学びの文化が広がってきたとき。

 

雰囲気が緩くなることがあります。

別の言葉を借りれば、和気あいあいでしょうか、だらっとした雰囲気でしょうか。

 

試行錯誤を楽しむ学びから生まれる会話と馴れ合いの学びから生まれる会話は全く別物です。

 

そんなときはどうするか。

 

「ゆるい授業になってるよ。必要とき以外は話さない。私語は一切禁止です。時と場合で使い分けてくださいね。はい、どうぞ」

 

ときっぱり言います。

 

教師がこの程度ぐらいいうかと思うと、子どもたちもその程度でいいかと判断します。

 

初期段階の1時間ごとの『学び合い』に比べると単元自由進度では子どもたちの会話は最小限となる。うまくいっていないときはゆるく、雑談が多くなる。そんな感覚です。