空飛ぶかめ

小学校での実践について、あれこれ記録します。

あれま!全く頭に入ってこない…はなぜ。

学年が決まったのでね、本屋さんによって手に取り目を通してみた。1年の流れが分かるシリーズをね。

 

それが…全く内容が入ってこない。

無気力にも近い状態…(こりゃ不味い!?)

 

有名な実践家がとてもためになることを書いている。自分の知らないことも結構ある、のにも関わらず…

 

なぜだろう?と考えた結果、ぼんやりと浮かび上がってきたことは「本文に考えたり問いを生んだりする余白がないから。あまりに見通しがたちすぎてて受け身になってしまうからだ」という仮説。…うーん、ちがう。問いを出せないのはボクの問題。あ、また頭でっかちになってる笑

 

とにかく今は必要ないってことかな?最初の3年は武装して新学期に臨まなきゃって思っていた。言い換えると、関連する教育書は全て買わないといけない!みたいな。そんな気持ちに駆られていたんだよね。2年目だったかなぁ。当時のことを妻に聞くと、「教材研究してないから出かけることはできない!教師は休みがないねん!って勝手に怒ってたよ」と言われた笑 新婚なのに…最悪な夫(笑) まぁでもそういうことなのだろう。 今は息子たちと過ごす時間がとても貴重だから、仕事とのバランスを取り始めているのかもしれないなぁ。まぁ、なんとかなるし。全部理想通りにするの無理だしって割り切ってしまっている。いいのか悪いのか…さてはて。

 

児童書をぼちぼちそろえています。

最近読んだ本。

マチルダは小さな大天才 (ロアルド・ダールコレクション 16)

マチルダは小さな大天才 (ロアルド・ダールコレクション 16)

  • 作者: ロアルドダール,クェンティンブレイク,Roald Dahl,Quentin Blake,宮下嶺夫
  • 出版社/メーカー: 評論社
  • 発売日: 2005/10/01
  • メディア: 単行本
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びりっかすの神さま (偕成社文庫)

びりっかすの神さま (偕成社文庫)

 

チルダはノンストップで読んでしまった。マチルダはじめ、出てくるキャラクターが面白いのなんの。個性的すぎる。びりっかすの神さまは読書が苦手な子が読み切る経験をするのにちょうど良いボリューム。教室の本棚にはロアルド・ダール氏と岡田淳氏の本を複数冊揃えることができそう。他にも複数セットはあるけど、この本たちはボクが大好きなもの。心からおすすめできる。最近は教育書より、児童書と教養書。読書がとても楽しい。

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体験的な学びって大切だよね。

 体験的に学ぶってとても大切。数年前、ひとまちのセミナーで甲斐崎先生の学び合いの授業を体験した。その時に感じたことは、「聞くってドキドキする」ってこと。周りは知らない人ばかりだったので、その環境も影響していたかもしれません。やはり「わからないことを聞く」ってドキドキするものだ。

    ある方の企画で自由作文の時間を体験したこともある。言い換えればWWのようなものだ。近くを散歩して、帰ってきたら書きたいことを書くという流れだった。何を書けばいいのか思いつかなかったし、自由に書くことで誰かに馬鹿にされるんじゃないかな、みんなどんなこと書いてるのかなという心の動きがあった。この時は書かなければならない気持ちにかられた無理やり書いた。テーマは川で見つけた鳥に向けて「君の気持ち」笑

  一方、ライティングワークショップのように書きたいことを書く体験をボクは日常でしている。それはブログだ。それはブログ。ここ2年は『学び合い』実践を中心に、今は自分が感じたことや心の揺れ動きをジャンルを問わず書いている。気がつけば、投稿記事は400にものぼる。ボクはこの書く時間がとても好きだ。

 

さて、上に挙げたことでボクが体験したことはこんなことかな。

  • わからない事を聞くって教師が思っている以上にドキドキすること。頭でわかっていても体が動かない。
  • 自由に書くって、思いつかなくて手が止まるときもあれば、書くことに夢中になれることもある。ジャンルを限定されるのはストレスになることもあれば、きっかけにもなる。

体験してみるとわかる。それは本を読んで知った事を大きく上回る。教師自身が学習者としての実感を持つことは、子どもたちに任せる授業にチャレンジする上でとても大切だ。なぜなら、実感をもった方が学習者の気持ちに寄り添えるからだ。ボクは『学び合い』の会を主催してるけど、集いやセミナー形式だけじゃなくて、体験的に学ぶ場作り進めていきたい。そういう意味では大阪PACEはステキな場だ。いつかファシリテーターにチャレンジしてみたいな。

 

学校って何のためにあるのさ

『学び合い』には学校観・子ども観・授業観がある。これまではその考え方を頼りに教育を語っていたけど、その言葉を引用してではなく、今自分の心にある言葉で語っていきたい。あ、学校教育をね。

 

学校って何のためにあるのでしょう?と考えたら、「幸せの感度を育む・高める場」という言葉がでてきた。ただ、これは将来のためとかではなくて、「今」を幸せに生きていくことで、自分の生き方に責任を持てるようになっていくこと。自分でハンドルを握っていくこと。そのプロセスを学校で歩んでいくこと。自分にとって幸せとは何か。それを感じられるときってどんな時なのか。それを見つけられる場所であってほしい。そこでキーワードになるのは「自己選択・自己決定」、あと教室が(学校が)「自分のしたいを実現できる場所」であること。

 

でも、現状では満たせないんだよね。いや、満たしにくいかな?結局、国や学校の都合に子どもたちを合わさせる流れが主流。その不自然さに気づけないんだなぁ。

 

↓5年の国語(東書)で紹介されていた本。とてもステキなお話。ノエル先生みたいにクーポンを配ると子どもたちは何を選択するだろう。思いっきり好きなようにさせてみたい。勇気ないけど…。

PS 最近読んだ本で面白いと感じたものに、なぜか日本作家が少ない…。なぜかなぁ。

ノエル先生としあわせのクーポン

ノエル先生としあわせのクーポン

 

 

 

 

 

 

〇〇がなくても生きていける

〇〇がなくても生きていける。

 

あなたならここにどんな言葉を入れますか?

 

ぼくなら何をいれるかなぁ。そうそう、先日watcha Nagoyaが開催されたそうだね。Twitterのタイムラインを眺めると、盛会の様子が伝わってきた。「みんな積極的に学んでいるなぁ」て、なんか眩しかったなぁ。自分の好きなことに時間の多くをさける人たちを見ると、今でも羨ましく感じる自分がいる。じゃあ、僕は何をしてたかと言うと、ひたすら砂場で息子とお山を作っていました。知らない友達におもちゃを貸してあげる成長した息子の様子を見てニコニコしてました。ね、それはそれで幸せなんだけど、職業柄学ぶ意欲は止められないもんね。

 

まぁでも、ある方が書いた流行りの本やセミナーなどに足を運ばなくても、なんとかやっていけるんじゃないかなぁって思ってる。少しずつ積み重ねていこう。

 

あ、この本とっても面白い。子ども時代に読みたかったな。

びりっかすの神さま (偕成社文庫)

びりっかすの神さま (偕成社文庫)

 

 

 

『学び合い』や実践記録の話〜SNSへの実践投稿は辞めます〜

 ここ最近「『学び合い』を辞めたんですか?」とDMでよく聞かれます。なんと言えばいいかなぁ。これまでは手元に置いてあったんだけど、今後は胸に閉まって置こうと思ってるんです。僕にとって、とても大切なもの。そこに変わりはない。だからこそ大切に閉まっておく。そんな感じ。


 あと、実践については安易に投稿しないことにしました。どの業界もそうだろうけど、実際のところ語れないことの方が多いじゃない?でも、その事実なしには実践なんて十分に語ることができないよねって改めて思ったわけです。その語れないエピソードの中に大切なものがあることって少なくないもの。あと、発信することが目的になると、気がつかぬうちに美化して見栄えを良くしようとする自分がいたんだ。それっておかしいよね〜。だから実践を投稿するのもつぶやくのもやめた。

 ブログにはたまにまとめるかな。あとはクローズな場で共有し合う。しばらくはこんな感じでいきます。

あははは!薄っ!!

[辞めたわけではないです]

 Kindle本の出版に向けて原稿を書いている。書くことで気づいた。自分の積み重ねや引き出しの少なさに。書けば書くほどに「なんと薄っぺらい実践内容!」と感じる。研究には程遠く、日々の実践を振り返り、紀要ような構成でまとめた日記。出版社を通してなど絶対に無理だ。

 

「こうすれば『学び合い』は成功する。」といった類のテーマは付けられない。そんなことを言えるほどの実践も重ねていない。「子どもたちと歩む『学び合い』〜はじめて『学び合い』に取り組むあなたへ(副読本)」程度になればいいところ。はっきり言えるのは、「もっと実践を重ねて研究しろっ!」ってこと。「たくさん挑戦して失敗しろっ!」ってこと。10年続けて文句を言えってこと。

 

ただ、書くことにチャレンジした価値はあった。自分のからっぽさと無力さに気づけたからだ。これから『学び合い』にチャレンジしたい人の参考程度になればよい。薄さは変わらないのだから、変な盛り付けをせず一気に書こう。

 

これから『学び合い』を始める方へ。基本は西川先生の本を読んで始めてくださいね。本に書かれてある通りに、です。「書いてある通り」に実践してみて、エラーがあれば修正する。まずは西川先生の提案通りがポイントだと思います。

『学び合い』が個々の学習ペースを大切にしていない実践と言われて、考えたこと

先日、ある投稿を見て感じたこと。

 


『学び合い』では、できていない子にできている子がサポートにいく場面が見られます。そのサポートはゆっくり考えたい子にとって、いらぬ御節介だという意見を頂戴することもあります。昨年は『学び合い』を続ける過程で、「1人で考えたいのに教えられてしまう。うっとしい」と振り返りに書く子もいてました。全員達成だけが目的になってしまうと、そのような『学び合い』になるのだと思います。一方で、自分からは声をかけられず助けを待っている子もいます。それで救われる子がいるのも事実なんです。ゆっくり考えたい子は「俺もうすこし考えたいから」と言って断ったり、「1人で考えたい」札を机の上に立てたりして仲間のサポートと折り合いをつけます。全員が一生懸命がんばったけど、全員達成はできなかった。結果は花丸です。頑張ったんですから。大切なことは「自分や友だちの学びがより良いものになるようにサポートし合うこと」その過程を経た全員達成に価値があるのだと思います。(誤解を恐れずに言うと、1時間で全員達成をゴールにする『学び合い』の期間は必要です。僕の場合)

 また、教科によって、「教える・教えられる」立場が逆転することもあります。それぞれの子どもたちには得意不得意があるので当然です。全教科とまではいかなくても、多くの時間で子どもたちに課題解決を任せると多様な『学び合い』が見られるようになります。「算数ではいつも教えられるけど、体育になると友だちのサポートが必要なんだ。いや、算数でもあの時は〇〇さんに教えてもらうこともあったな。そのときの自分次第で助けを求めたり、一人でがんばったり、どう学ぶか考えられるようになった」という気づ気も生まれます。(昨年の振り返りジャーナルより)

  『学び合い』がクラスの誰かの学び方を阻害していることに授業者が気づかない場合、それは子どもたちの学び合う姿に満足しているだけなのかもしれません。「全員達成」を目指すことが『学び合い』と解釈してしまっているのかもしれません。その表面的な姿に満足していては、適切なアセスメントはできませんし、次の一手も打てないのです。

1・2年目にチャレンジした「信頼ベース」の実践で、僕が見落としていた大切なこと。

2年ぶりの再読・・・

今日職員室で、岩瀬さんの本を再読した。

職場にずっと置いてあって、たまたま目にとまったんだ。 

よくわかる学級ファシリテーション?―かかわりスキル編― (信頼ベースのクラスをつくる)

よくわかる学級ファシリテーション?―かかわりスキル編― (信頼ベースのクラスをつくる)

 

 あと一ヶ月後には新たな立場で子どもたちと関わることになる。担任になれるかはまだ分からないんだけど。そんな時期だから、「学級開きはどうしよう」「出会った最初の日に、子どもたちへどんな言葉を届けよう」と考えることが増えていたんだ。このタイミングで、もう一度この本を手にとることができて本当に良かった。なぜなら、線を引く箇所も紐づく経験も、1年目に読んだときと全く異なっていたからだ。自分の経験値が増えてきたからこそ、見方や考え方が変わっていたのだろう。

 

提案通り実践をしていないから・・・

 誤解を恐れずに言えば、本書で紹介されている教室リフォームやプロジェクトアドベンチャー、振り返りジャーナルなどの実践はどれも真新しいものばかり。教室に畳を取り入れる提案なんて斬新すぎるよね。(僕は読売新聞の教育ルネサンスで取り上げられた岩瀬さんの教室リフォームの実践を知ったときは衝撃だった。結局、型破りな面だけに惹かれていたんだけどね…。そこに至る理念にも目を通していたのに…)

  私は1年目から、これらの実践を真似していった。「本の提案通り」進めれば、岩瀬学級と同じようなクラスを実現できると思っていたんだ。結果は・・・言わずもがなである。大失敗だった。理由は簡単。「本の提案通り」ではなかったからだ。

 

本書ではファシリテーターの技として次の5つが紹介されている。

技1 インストラクション(説明)

技2 クエスチョン(質問)

技3 アセスメント(評価)

技4 フォーメーション(隊形)

技5 グラフィック&ソニフィケーション(可視化&可聴化)

 1年目の僕に、特に欠けていたのは「技3アセスメント(評価)」だった。アイスブレイクやミニゲームをすれば、子どもたちの関係性は豊かになっていく。そう信じていた。きっと、「アクティビティが成功するか否か」に目を奪われ、「起きていること」に目を向けることができていなかったのだと思う。上手くいかなければ他のアクティビティにチャレンジし、パッチワークのごとく実践を重ねていった。実践の回数と反比例するように、子どもたちの関係性が徐々に冷えていたことにも気づかずに・・・。

 2年目からはちょんせいこさんのセミナーに参加するようになった。本を読むだけでは腑に落ちなかったことも、実際に話を聴くことで信頼ベースの実践をなんとなく理解できるようになった。それでも失敗ばかりだった。岩瀬さんやちょんさんの提案を形だけ追試することで精一杯。いや、形さえもできていなかった。子どもたちの心を温めたり、冷やしたりと自分勝手な教師だったと思う。なぜうまくいかないのか。繰り返しになるけど、それは「本の提案通り」ではなかったからだ。

 

セブン・イレブンじゃんけんの紹介ページでこのような記述がある。

ゲームで盛り上がったかどうかは問題ではありません。ファシリテーターは、「誰が声をかけていたか」「孤立しがちな子はどうしていたのか」など、ゲームに見える「子どもたちの関係性」を観察し、チームの成熟度をアセメントします。そして課題を引き出し、具体的な次の一手を提案します。このゲームが成立しなければ、もっとハードルの低いゲームから再スタートします。ゲームを通じて、意外な子同士が声をかけ合い、笑顔を共有する。子どもたちが、新たな関係性を育み、学び合う小さなきっかけをデザインし、一緒にチャレンジします。多様な関係性を温め育むプロセスを、積み重ねていきましょう。

・男女がうまく混ざれない時は→男子同士、女子同士の成立を目指す。

・ハイタッチが難しい時は→エアータッチでもOK!

・うまくつながれない子がいたときは→教師も参加し、声をかけ、つなげる。

という風に、子どもたちの関係性やチームの成熟度をアセスメントし、今必要とされる具体的な一手を提案する。チームのつながりを高め、学び合う関係性を育むために、常に子どもたちの様子をアセスメントしながら、プロセスをデザインする。「これが岩瀬さんの実践の本質なんだ!」と今更腹落ちしたのだ。あぁ、納得するまで時間かかりすぎだよ。ほんと。本書で紹介されているどの活動にも、その活動を通して集団の成熟度や個々の関係性を観ようとするファシリテーター岩瀬さんの姿がある。1・2年目の僕は見逃していた。だから「提案通りの実践」ができなかったんだ。

 

 

アセスメントから始まるプロセスデザイン 

インクルーシブ教育を通常学級で実践するってどういうこと? (インクルーシブ発想の教育シリーズ)

インクルーシブ教育を通常学級で実践するってどういうこと? (インクルーシブ発想の教育シリーズ)

 

本書は青山さんと岩瀬さんの対談本。ここでも興味深い記述がある。

 ユウキさんは、僕が勤務していた学校に4年生で転入してきたのですが、キレやすく、教室に居るのが困難で1日中保健室に居ることが多くなっていました。それで5年生から僕が担任することになりました。4月の最初に、クラスのみんなで行うアクティビティが「プロジェクトアドベンチャーのようなコミュニケーションや課題解決を中心に据えた活動だと、多分、ユウキさんは感情のコントロールが難しくなり失敗体験をしてしまう可能性が極めて高いと考えましたので、「まずは『教室リフォームプロジェクト』の中でユウキさんがどんな行動をするのかみてみよう」と思ったんです。・・・中略。「ユウキさんにはやりたいことがあって、それを止められるようなことを言われるとキレるんだ」とわかりました。

 そこで、まずはとにかく僕がユウキさんの側につねにいて、僕がユウキさんに仕事を依頼したり、活動にも気持ちよく参加できた、貢献できた、ということを体験することで、今度の教室は自分の居場所があるらしいということを実感できたらいいなと思いました。まずはユウキさんがキレるタイミングをつくらないように、教室を出ていくタイミングをつくらないようにと思っていました。

流れをナンバリングすると・・・

  1. ユウキくんのアセスメント
  2. 活動の選択(教室リフォームPJ)
  3. 活動中のアセスメント
  4. 教師の関わりを選択
となる。本書でも指摘されている「手段の目的化」の視点から見ると、「とりあえずプロジェクトアドベンチャーで成功体験を積もう」となれば、他者との関わりが苦手なユウキくんは4月早々から「失敗体験」を積んでしまう可能性があったのだ。岩瀬さんはユウキくんの現状から、教室リフォームの活動を選択し、ユウキくんの更なるアセスメントを試みたのである。この岩瀬さんの内面が詳細に記されていることに、この本の価値があるだろう。

 

 では今日はこの辺で。書けることは他にもたくさんあるので、また改めて記事にしていこうと思う。 それぐらい価値のある読書の時間だった。読み返せて本当によかった。来年度担任を持てたら、信頼ベースと『学び合い』とかじゃなくて、子どもたちの幸せを願う1人の大人として子どもたちの前に立ちたい。そのために必要なファシリテーションの技を学び直そう。

 

 

 

 

 

景色を限定する

「あの坂道」を登るのをやめて足元を見つめてみる。これまでの足跡をたどってみる。自分の目に入ってくる景色も限定しようと思う。しばらく。

 

 行きつけの美容師さんと断捨離について話題になった。西野さんのオンラインサロンにも入っている方で、個人の信用価値がこれから重要になってくると言う価値観も共有できる方だ。昨日1番盛り上がった話題は、「無駄に飛び込んでくる情報はなくした方が良い」ということ。そこで断捨離第一弾。「Twitterのタイムラインを見ない」ことにした。大地の会やブログ、しるし書店の情報は更新する。DMも返信する。ただタイムラインは見ない。 Twitterの中で何が話題になっているかわからないけど、特に問題はなさそうだ。