ほんやくこんにゃく
主任がよく言う。
『教育には、ほんやくこんにゃくが必要や』
※翻訳こんにゃくとはドラえもんの道具です。
子どもに指導する
「死ね」
「消えろ」
心無い言葉が返ってくる。
僕も気が長い方ではないので、、
『今何て言った❔』
「日本語」
『違います。もう一度同じ言葉を言ってみなさいって意味や』
追い詰める。
とことん追い詰める。
『君が言ったのは、この世からいなくなれの死ねか?それとも、こいつウザイ腹立つの死ねか?どっちや』
分かってるんです。
自分が納得いかなかった思いが、『死ね』って言葉になる。
「すごい」⇨『キモイ』
「きもい」⇨『恥ずかしい』
1学期はおはようと言ったら、
『死ね』と返ってきてた。
今は笑いながら去っていったり
うなづいたり、
「おぃーす」とか返してきたり。
「おはよう」と言わなあかんことぐらい分かっているんです。
コミュニケーションが下手っぴというか、いろんなものが邪魔するんでしょう。
「毎回ストレートに叱ったとったらあかんで。ほんやくこんにゃくやで」主任が言う。
もうちょい長生きさせい。
君を残して死ねないわ。
何やて!もっかい言ってみ!
また、チクチクなっとるで。
朝飯は❔食べたか❔
子どもたちによって、返し方は変えます。
50メートル走を全力疾走したら、
「先生早すぎ、キモ〜イ」
「やかましいわ!そういうときは、先生の走りはなんて素晴らしいのでしょう。拍手や。さんはい」
「なんて素晴らしいのでしょう。拍手」って繰り返してくる。
舐められてるやん。って思う人もいると思うけど、
僕は大丈夫やと思う。大人があるべき姿を示し続ければ、いつか分かるときがくる。
大人がちゃんと見本になれば。
終わり。