【社会科教材研究】歴史教育とは『解釈』の訓練。
今こんな本を読んでいます。
日本は原子爆弾を落とされた世界唯一の国。
広島、長崎には多くの犠牲者が生まれました。
様々な資料を使って子どもたちに伝えています。
原子爆弾の印象というのは強烈で、その被害の大きさから、先生方が「だから、戦争は二度と繰り返してはいけないよね」という語りをするのも何度も目にしてきました。
だから・・というまとめに違和感が残っていました。
いやぁ、日本もいろいろ負の遺産を残しているよねと。とはいうものの、去年初めて6年生の担任をして授業をしてみると難しかった。歴史の授業ってどうしたらよいのか。特に明治から昭和にかけて。小学生が学習すべきことってどこまでなんだろうって。
話を戻します。
原子爆弾投下について、他のアジアの国々では次のような意見もあります。
「日本は侵略戦争を辞め、降伏することができた」
「結果的に侵略戦争を終焉することができた」
学生時代、イギリスのボランティアに参加した時に韓国や中国の方々にも言われたことがあります。
そしてこんなことも。
「原子爆弾はとても恐ろしいものだし、決して広島や長崎のような悲劇を繰り返してはいけないけれど、自分達が犯してきた過ちについて、ちゃんと理解しているのかな?核兵器落とされたきっかけって日本にもあるんだよ」
僕はまだまだ勉強不足で、この言葉についてはっきりとしたコメントがまだできない。
でも、もしかしたら日本の歴史教育は日本が犯してきた負の部分をオブラートに包み隠している側面もあるかもしれないなと。それが教師自身だとしたら不味いよなって思った。何度も言う。これが難しい。
「なんで戦争を始めてしまったの?」
「なんでやめることができなかったの?」
という問いはよく見るけれど。
1つの事象でも、見方によって解釈は違うもの。
その解釈の仕方を学び、自分はどう考えるのか。
その訓練を繰り返すことが大切なんだよ。
これまた学生時代のボランティアで、ドイツやイギリスの参加者に言われたこと。
ちなみにイギリスでは社会科ではなく歴史科という教科の枠があり、学習指導要領のような法的拘束力をもつものに、「解釈する力」という言葉が出てくるそうです。
歴史の授業・・・次やるとしたらどうしようかねぇ。