空飛ぶかめ

小学校での実践について、あれこれ記録します。

『学び合い』とは何だ?

 しばらく『学び合い』を主語にして発信することはやめます。最新のブログ記事に対して多数のメッセージを頂きました。まとめると「僕の実践は『学び合い』とは言えない」とのことでした。


 僕は子どもたちへの願いや信頼という言葉で、学びの責任を子どもたちに押しつけるようなことをしたくなかった。リフレクションの会で学んだことを実践しようしたまでです。物理的な環境整備が追いつかなければ、僕が環境そのものになることだってある。


 今後も目の前の子どもたちによって「教える」という選択肢をとることはあるでしょう。思いっきり任せることもあるでしょう。子どもたちの声で授業の形が変わることもあるかもしれません。〇〇実践がどうこうで語るのではなく、「僕」と目の前にいる「子どもたち」で教室と授業をつくっていきます。


 これまでは『学び合い』を主語にして発信することで『学び合い』には願いを具現化するいろんな形がある。「教えられない」じゃなくて、教えることがあってもいい。そう発信することで、実践の幅が広がると考えていました。でも本流でないなら『学び合い』を主語にしない方がいいと言われ、絶望感となぜか一定の納得感を得ました。


思い描く理想の社会はあるし、僕自身の願いもある。その願いがただの押し付けにならないように。繰り返しになりますが、授業は子どもたちと一緒につくっていきたい。主語は「僕」と「子どもたち」です。