空飛ぶかめ

小学校での実践について、あれこれ記録します。

決まり文句の語りはいらない。

 私は学校で学ぶ意味を、出来る限り分かりやすい言葉で子どもたちに伝えるようにしています。ですが、その言葉が「本気で」「全員で」といううわべだけの言葉ばかりになると、子どもたちは教師の覚悟の薄さをすぐに見抜くものです。


先日ふるTさんと語る言葉について意見を交わしました。ふるTさんは僕の進むべき道を示してくれるメンター的存在です(勝手にそのような存在にさせて頂いています)



気がつくと同じ言葉、いや綺麗な言葉ばかりに並べてしまうことがあります。1、2年目は特にそうでした。でもそれでは言葉を投げるだけになってしまうのです。ふるTさんの言葉を借りれば、話す=放つ、語る=かたちづくる。なるほど。子どもが受け取れる形に変えていく必要があると改めて考え直しました。



行き帰りの電車内でも考えます。子どもたちに「全員がわかる」とはどういうことなのか、結果が全てではなく何が大切なのか。本を読んでいて思いつけば、すぐにメモです。



 自分が伝えようとする言葉の奥底に潜って言葉の真意をつかみ、綺麗事では済まされない、リアルな部分も私は伝えるべきだと考えます。なぜなら自分が語る言葉を実現しようとすれば、必ず喜びや葛藤を経験するからです。1人の大人として夢を語ることはもちろん大切。でも、それだけでは自分の願いの薄さを露呈するだけになると思うんだよね。