ぼくがぼくであること

大阪の小学校教員。「幸せに生きる」その力を育む場づくりを探求します。ともに歩み・ともに学び・ともに創る。モットーは「やりたいこと」に正直に

今なら共感できる

 「突き詰めて集団を育てれば、教えずとも子どもたちは学び合って課題を達成できる。」


 あなたがやっていることは『学び合い』ではない騒動から1週間。今、この言葉の意味が徐々に自分の中で腹落ちしている。


しかし「突き詰めて集団を育てる」とは、メンバーの変動も多い習熟担当の立場では中々難しいこと。やっぱり担任であれば…と思ってしまう。そんな自分にできることは、願い語ることと、子どもたちが豊かに学べる環境作り。ただ、この環境作りがくせものなのだ。最適な環境作りとは何なのだろうか。何をどこまで準備すれば良いのだろうか。


今から5年前、まだ通信学生だった私は本屋で『学び合い』の本と出会い、この目で実践を見たい!と西川先生にメールを送った。そして、関西ならばこの方とご紹介頂いた先生にアポをとり、期待を胸にその学校へと向かった。


授業を見た感想を言うと、先生の真意も子どもたちの様子も、私には全く見えなかった。「はい、どうぞ」以外、何も語らない先生の姿が理解できなかった。この先生は一体何をしたいのだろう?と授業後の質問も全く思いつかず、その先生の言葉もよく分からなかった。



でも今は、今なら共感できる。



振り返れば、あの『学び合い』の授業には、ワークシートにも教室環境にもたくさんの工夫があった。先生が話たいことが全て詰まったワークシート、いつでも情報にアクセスできる環境、等積変化がフラッシュで表示される足場かけなどなど、当時の僕はそれすら全く気づかず、「先生は放任でただの自習やん」と感じていた。本当に何も見えてなかった。ちなみに、その先生は僕と同じく習熟度別算数の担当だった。今の自分があの授業を見れば、集団を成長させようと真剣な眼差しで子どもたちを見つめる先生の姿、子どもたちを信じた結果生まれた環境に共感できると思う。


「あなたのは『学び合い』ではない」と言いたくなる気持ちも少し分かるかな。言われた時はイラっとしたけど…笑


まだまだ進化できる。

天井を突き上げてもがいてみるか。