「ごめんなさい」と言わせてしまう僕らの在り方
机につっぷしたまま課題に中々取り組めない子がいます。毎年います。その子がなぜそのような状況になるのかは、個々で理由が違うため、その背景に関する言及はここでは控えます。
さて、そのような子を目の前にした私は「どうするのかなぁ~、どのタイミングで課題をやり始めるのかなぁ~、周りの子たちがいつ巻き込むかなぁ~」と思いを巡らせながら、その子を見つめます。
先週の授業でもそのような場面がありました。
場合にもよるのですが、そんな時は全体を見ながら、その子を意識して「もったいないなぁ~」と遠回しに言うことがよくあります。子どもたち全体に聞こえる声で、「今のままじゃ、損だよ。自分も周りも気づかないと」というメッセージを込めて。
今回はその言葉を使わず、じっと見つていました。すると、自分のことだと気づいた彼は次のような言葉を口にしました。
「あっ、ごめんなさい」と。その後、彼は周りの子たちから助けられながら、学習を進めていきました。彼の心の中は分かりませんが、恐る恐るえんぴつを手にとる感じでした。
そんなつもりではなかったのに・・・
私はとてもショックでした。「ごめんなさい」と言わせてしまったことが。
最後は次のような話をしました。
「先生に対して、「ごめんなさい」と言ってくれた子がいたけど、勉強を一生懸命しないからと言って先生は怒ったりはしないし、それであなたを嫌いになんでならない。でもね、何もやらないのはもったいないな~って思うんだよ。自分のためにならない時間を過ごしても仕方ないやろ?先生に怒られるから・・やる!じゃなくて、少しでもレベルアップするぞ!と思える時間に自分からしていきたいよね。」
とは言ったものの、やっぱり気になります。この「ごめんなさい」の一言が。やらな不味い。やらな怒られる。言葉の真意は分かりませんが、これって矢印が自分じゃなく他者(教師)にある状態なんですよね。これは想像ですけど、その子はそのような経験をたくさん積んできたのかもしれません。
見落としてはいけないこと。「ごめんなさい」と言わせてしまう僕らのあり方。担任であればなぁ〜。
— kana_sen (@metchi0906) 2018年7月2日
恐怖でやらせる!指導は残念なことによく目にします。「ちょっとそれは・・」と意見しても「いやいや時には必要ですよ。ビビらせて分からせないとなめられます。」と言われたこともあります。でも、この指導って所詮は「怒られないように過ごす術」を学びなさいと言っているようなものなのでしょうね。