空飛ぶかめ

小学校での実践について、あれこれ記録します。

その授業は誰のためにやってるの?

 今から8年前。教育実習生として入らせて頂いたクラスは、「学びの共同体」の実践をするクラスでした。机はコの字型。挙手と自由起立を組み合わせた発言を教師がファシリテートし、その場の流れで課題や問いが生まれる授業でした。主体的な子どもたちの姿や躍動感のある授業に感動する一方で、果たして自分はこんな授業をつくれる教師になれるのだろうか。と教師になること自体に不安を感じていました。特に、実習中の担当教官との会話は今でも心に残っています。


「君も学びの共同体にチャレンジしたくなったかい?」


「そうですね、あんな授業ができは教師になりたいと思いました。でもまずは普通の一斉授業をする教師になりたいです。」


「普通って何?」


「えっ、学びの共同体のような子どもの意見から作る授業ではなく、指導案の計画通りに…」


「そっかぁ。じゃあね、その普通の授業をするのは誰のためなん?」


「えっ…?誰のため?いや、いきなり学びの共同体なんて自信がないし…まずは指導書通りに」


「…自分が安心するためでしょ?まぁ、でも先生の不安に子どもたちは気づくからねぇ。自分が安心して実践できる方法が一番ではある。ただ、徐々に授業の軸足が自分から子どもたちに移るといいね。」


そこからです。指導書を一切見せてもらえず、学習指導要領と児童書だけを使った授業準備が始まったのは。まず授業のゴールイメージから、発問を考える。全くのゼロから授業を考える日々は正直に言うとかなりきつかったのですが、今は濃い時間を過ごさせてもらったんだと感謝できます。


授業の軸足はどこにあるのか。子どものためと言いながら、自分のためになっちゃいないだろうか。このとき教官にかけてもらった言葉が、また最近になってじわじわと身にしみるのです。