空飛ぶかめ

小学校での実践について、あれこれ記録します。

一斉授業が楽しかった!のは自分だけ…?

 今日の校内研修は説明文と物語文の指導法。流れは一斉授業形式。講師の先生は模擬授業をしながら、発問の意図や工夫について解説してくださった。学習者の立場としてとても楽しく、この先生の授業なら受けてみたいと思える内容だった。 

 一斉授業は、その場に応じて、展開を変化させることができる。講師の先生の発問が、何度も何度も文章に目を向けるきっかけとなったし、与えられた問いではあるものの、こんな短時間で文章に何度も目を通すのも初めてで、目を通すたびに発見があった。仕掛けのように用意された発問は、僕を揺さぶり、そこにはついつい考えたくなってしまう自分がいた。



「一斉授業も悪くない。教師のファシリテート次第で、こんなにも探求的な視点で考えることができるんだ!」


きれいな一斉授業にワクワクし、『学び合い』ではこんな授業はできないよなぁ、やっぱり教師が主導で授業をすることでここまで深まるんだよな…



いや、ちょっと待てよ。



他の同僚全員が、僕と全く同じ感覚を持っていたのだろうか。自分のように楽しく学べる子達が教室にどれだけいるのだろうか。繰り返される発問にどれだけの子達がついてこれるのだろうか。実際、僕はいくつかの発問に対して、十分に考えるには時間が足りない場面があった。時間配分は教師に握られている分、根拠を探しきる前に発表の時間になることもあって、納得いくまで考えることができなかったこともあった。全員がぼくのように授業を楽しめる訳ではないんだよな…。とすぐ我に返ってしまったのである。



上に書いたことだけじゃないんだろうけど、多分一斉授業の難しさってここにあるんだと思う。一人ひとりの学ぶペースも違えば、適した課題のレベルも違う。「みんな」にとって、適した課題を一斉に提供するなんて私には無理。今日憧れた講師の授業でさえも、取り残されてしまう子はいるんだろう。全国で稀に見る一斉授業の名人のクラスでは、全員を時間内に同じゴールにたどり着かせられるのかな?あるなら一度そんな授業を見てみたいなぁ。


私が今まで担任してきたクラスで、もし研修のような深める発問をすると、ちんぷんかんぷんになっちゃう子達が出てくることは容易に想像できる。『学び合い』でもあそこまでの課題レベルは設定できない。まずは学習指導要領で求められるレベルを最低限担保すること。しかも全員に。簡単ではない。学習課題を選べる授業なら可能か?自分たちで考えたい教師の発問を選択するイメージ。ゆるやかな協同と個別化の授業なら、難易度の高い課題を選んだり、優しめの課題を選んだりすることもできるから。自分に適したものを選ぶってのもこれまた簡単ではない。


「昨日の課題(発問)が分からなかったら、今日もう一回考えてみようと思うねん。やから後で俺の考え聞いてくれる?」「ええよ。でも俺はまだあやふやところあるから、それなら〇〇さんに聞いた方がスッキリするかもよ」


僕はこんな会話ができるクラスにしたいんだな。1学期の算数でも3クラス中2クラスでそんな場面を少し作れたと思う。



はい、今日はここまで。