空飛ぶかめ

小学校での実践について、あれこれ記録します。

丁寧な関わりってなんだい?

※内容は全てフィクションです。


「なんで先生は声をかけてくれないんですか?教えるのが先生の仕事じゃないんですか?」


「私から声をかける時もあります。ただ、私は〇〇さんが自分で必要な時間考えて、必要なタイミングで「ここどうしたらいいん?教えてや」と他者に声をかけ、課題を解決できる大人になってほしいと思っているんです。ですから声をかけずじっと待つ時もあります」


「でも、結局テストはこんな結果じゃないですか?待った結果、成果出ていませんよね?」


「プレテストの結果も見てください。この結果と比べると本番のテストは格段に伸びていますよ」


「でも、本人は先生に教えてって言っても「まずは友達に聞いてみよう。」と言って教えてくれないと言っていましたよ。先生がもっと頑張れば、勉強できるようになってましたよね。仕事を放棄してるんですか?」


「…私だけの力では限られた時間の中で全員の子どもたちに細かい指導をするのは難しいんです。ですから、身近な友達に聞いて解決できることはクラスの仲間の力で解決してほしいんです。〇〇さんの疑問なら、私ではなくても解決できる内容が多かったんですよ」


「先生は身近な存在ではないと?」


「いえ、ですから仮に私が他の子の指導にあたっているときに、先生に聞けないからどうしようもできないとなってほしくないんです。もちろん、私に聞いてもいいですが、先生に聞かないとこれは解決できないぞ!と自分で判断した上で、質問に来てほしいのです」


「自分から質問できるようになったのに、そんな言い方をされるんですね」


「答える時もあります。でも、それは内容によるんです。先生じゃないとダメだ。この人じゃないと前に進めない。となるのは将来的に困りませんか?長い目で見て頂けると嬉しいのですが、ご理解頂けませんか?」


 僕が保護者だったら、どう思うだろう。と逆の立場で考えることが増えてきたような気がします。後出しジャンケンじゃなく、何かしらの手段で、子どもと保護者とも、ビジョンを共有しておくことって大切。自分だけで掲げて、学期末にこんなつもりでやってるんです。と言われても…なんだろうな。これまでの3年間で丁寧にやれたこと、まだ一度もないんですけどね。(猛反省)長期的に将来的にって、ちゃんとあなたのお子さんのことを考えてますよ!とアピールしてる風で、必ずしもそう受け取ってもらえるとは限らないんでしょうね。