空飛ぶかめ

小学校での実践について、あれこれ記録します。

理想より子どもたちの思いを…

『学び合い』では、教授(学習)は子どもたちの役目だ。教師は教えてはいけない。実践して2年目はそう頑なに考えていました。


3年目の昨年は、それまでと比べると、難しいと感じる内容があれば、授業冒頭にミニレッスンをするようになりました。それでも「教授は子どもたちの役目」という感覚は強く残っていて、友達と何度も相談しても分からない子や、対人関係が苦手で自分から聞きにいけない子がいても、「見守る」という選択肢をとってきました。実際にその「見守り」が功を奏して、子どもたちの変容に結びつくこともありましたが、中には「見守る」が強すぎて、「先生は助けてくれない」と感じていた子もいたようです。(卒業後の後日談です)


よく言っていました。「学び合い、助け合うのは君たちの役目なんだ。10人聞いて分からなければ、11、12人、全員に聞いて分からなかったら、先生所に来なさい」と。聞く姿勢を説くときに、この言葉は良いかもしれません。でも、今となっては、ただ単に強めの「語り」に頼るしか術がなかったのでしょう。


一昨日転機が訪れました。「拡大図・縮図」の第8時を終えた休み時間に、第1時の学習内容を教えてほしいという子が数名いたので、指導していました。


「こんな感じで、先生にもう一度解説してもらえる時間がある方がいい?」


「うん、めっちゃいい!その方が安心する!友達に何度も聞いたけど分からなくて、先生に質問する時間つくれなかったから」


「よし、分かった。やってみよう」


迷いはありませんでした。早速教務に相談し、机と椅子を手配。ミニ授業スペースを教室に設けました。


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後日、もう一度解説してほしい内容をアンケートで集約し、子どもたちのニーズに沿ったミニ授業を行うことにしました。人数は最大8名で、時間は10〜15分ほど。ホワイトボードを使っての指導です。


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他の子どもたちは、必要に応じて友達と相談しながら課題を進めます。これは協同の文化が根付いてきたからこそできること。机は常にアイランド型です。

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ミニ授業終了後、驚くことがありました。自分から友達に聞き行けない子が、私に教えてもらったことを説明し合っていたり、算数の得意な子たちに「なぁ、俺の説明聞いてくれへん。自分ではできるようになったから、説明もがんばりたいねん」と口にしていたのです。どんな方法であれ、自分できるようになることが自信になり、友達と学び合う一歩を踏み出す勇気となる。周りを見ると、今まで動かなかった子達がいきいきと学んでいました。


現在このスペースはアンケートによるミニ授業で使う場合と教えてほしいときにこのスペースに集まり、教師や友だちのサポートを受ける場としています。


『学び合い』の授業観では「教師は教えてはいけない」とは言っていません。子どもたちだって大人と一緒で有能なときと力を発揮できないときがあるもの。そのときの教師の役目は何でしょう?見守ることでしょうか?教師が教授する環境をつくることでしょうか?


の『学び合い』は変わり続けています。