空飛ぶかめ

小学校での実践について、あれこれ記録します。

「1人の人としてみる」の意味

「子ども扱いせず、1人の人として対等に接する」


この言葉にはどんな思いが込められているのでしょう。


一方、


小学生なんだから。

小学6年生なんだから。

中学生なんだから。

高校生なんだから。

大学生なんだから。


「これぐらい出来て当然でしょう?」


この言葉にはどんな思いが込められているのでしょう。1人の人としてではなく、グルーピングして、その人を一般化する。そこに「あなた」はない。


僕も言ったことがある。

自覚を持てという意味を込めて。



「1人の人としてみる」


一人ひとり違うはずの「人」を一括りで見ないようにすること。その「人」がどんな人なのかを考え、一人ひとりに合った関わりを持つように心がけること。でしょうか?


では、大人の世界ではどうでしょう。



社会人なんだから。

5年目なんだから。

10年目なんだから。


男なんだから。

女なんだから。


「これぐらいは出来て当然でしょう?」



教師の世界でも、「教師なら、これぐらいのことができて当然でしょう?これぐらいの心構えがあるのは当たり前でしょう?」と口にする場面をよく目にすふ。もちろんの専門職として、必要な資質はたくさんあるわけで、そこに甘えがあれば教育のプロフェッショナルとして恥ずべきことだし、その甘さが目の前の子どもたちに迷惑をかけることだってある。だから厳しさも必要。プロ意識も必要。


でも、見方を変えれば、何かしらのアドバイスをするときに、教師である〇〇さんに向けてかける言葉と〇〇さんという人に向けてかける言葉は変わるかもしれない。「あなた」に向けた言葉は、1つ1つ違ってくるはず。クラスにいる子どもたちと接するのと同じように、大人だって「あなた」を見て接するべきときがある。


大人の世界ってその見方を曇らせがちなんじゃなかろうか。大人だから甘えは許されない。だからって、いつも「厳しく接する」だけではあまりにも芸がない。


人として見る・関わるって何なのでしょう。

最近気になっていることなんだな。