kanasenの『七転び八起き』

大阪の小学校教員かなせんです。「幸せに生きる」その力を育む場づくりを探求します。ともに歩み・ともに学び・ともに創る。モットーは「やりたいこと」に正直に

他者の思考に乗っかってるだけ

先生とはどのような人なのでしょう?

 

twitterでそのような呟きを見て、思い出したことがあります。

 

学生のときに、「先生とは?」テーマを自問自答したときがあります。きっかけは、先生(教師)としてのあり方に迷いを持ち、思考錯誤している方のお話を聞いたり、その方の著書を読んだり…

簡単に言うと他者の思考錯誤に乗っかっていただけでした。

 

「教師は子どもたちをコントロールしようとする。支配欲が強い」

「教師はファシリテータであるべきだ」

「子どもたちに任せるべきだ」

「教師が教えてばかりでは子どもたちは受け身になる」

「先生という肩書きを捨てたい。1人の人としてどうあるかが大切だ」

 

もちろん、それ自体に悪いことはありません。日々いろんなものに影響を受けながら、人は学び変わっていくものですから。

 

ただ、私自身経験あるんですよ。教師としての人生も始まったばかりなのに、だれかの言葉を借りて「誰かのあり方」を信じてしまうことが。で、一丁前に言うわけです。「教育は、先生とはこうあるべきだ。」って。さらには、「僕、先生って呼ばれるのに違和感があって、〇〇ちゃんとか〇〇っちでいいんす!1人の人としてありたいというか」とか。

 

そんな言葉を聞くとつい思ってしまいます。「それ、ほんまにそう思ってんの?あなた自身の言葉なの?」と。

 

数十年の研究や実践の末に手に入れた納得解と「あのすごい先生がいってるんだ!俺もそう思ってたんだ。やっぱりそうあるべきだよな」って手に入れた解は全く異なるもの。(これは解にもなってないか) そこにその人なりのエピソードがあって、それがその解と重なるならいいけど。

 

巨人の肩に乗って、遠くを見つめることって大切。間違いなく。でも、目の前の景色は、巨人の肩を降りた後に見えるものでしょう。

 

だれかの言葉を借りて「〇〇だ」と信じてしまうのは怖い。それに無自覚であると嫌だなぁって改めて自分に言い聞かせてます。