空飛ぶかめ

小学校での実践について、あれこれ記録します。

『学び合い』の語りを「一方的な語り」から「共感できる語り」に変えるために必要なこと

昨日、以下のエントリーを書きました。

metch96.hatenablog.com

 

今日も上記の内容の続きを書いていきます。

テーマは「『学び合い』の語りを「共感できる語り」に変えるために必要なこと」

結論から言うと、「『学び合い』は簡単じゃない。と心から思えていますか?」この問いを教師自身が持てているかどうかです。「一方通行の語り」が「共感できる語り」に変わっていくキーとなる問いだと思っています。

 

 

抽象的なアドバイスでは納得できない。

「「1人も見捨てないは得であること」この意味をあなたが実感していない、もしくは本気でそう思えてないから『学び合い』がうまくいかないのです」

「1人も見捨てないを本気で求める覚悟が足りないからだよ」

 

『学び合い』実践者でこんなアドバイスをもらった経験がある方はいないでしょうか。私はあります。その後「あぁ、僕の気持ちが足りないのか」と素直に反省し、どうすれば「1人も見捨てないは得」と本気で語れるのかを考えました。時間があるときはずーっと。一方で、そんなアドバイスをもらうと「え?俺は本気で『学び合い』やりたいと思っている。見捨てたらいけないんだ!って本気で伝えている。それの何が間違っているんだ!」と憤慨する方もいるんじゃないでしょうか?でも現場では「伝わらない」という事実がある。一体何が足りてないのでしょうか。今日はこの「足りなさ」に焦点をあてて考えていきます。

 

『学び合い』のセオリーと現実との差

 『学び合い』のセオリー(西川先生の考え)では、全員達成(1人も見捨てない)の願いは2:6:2の比率で、集団の2割にその価値が伝わっていきます。(学級崩壊の法則も同じように語られていますね)これは各学級の実態にもよりますが、経験上私も同じような感覚があります。その後、中間層の6割にも伝わり、教室の各所で学び合いが起こるようになるのです。「反発する」子たちばかりに目を向けるのではなく、教師の腹の中を理解できる2割に伝わるよう心がけることが大切です。しかし、現実はそう簡単ではありません。語っても伝わっていない現実があるのに、語り続けても仕方ない。教師の気力が持たないよ!と思われる方もいるでしょう。それでは本題の『学び合い』の願いが伝わらない場合に欠けているも足りなさに迫っていきましょう。

 

『学び合い』はぬるま湯ではない。

過去の自分は次のことに自覚的になれていなかったような気がします。

 「1人も見捨てない」は簡単ではない。けれども、そのことを踏まえてもなお、「1人も見捨てない」を大切にできる仲間でいられる方が幸せなんだ」

 

 このことに教師が納得できているかどうかが、1人も見捨てないを語り続ける上で大切なことだと思うのです。全員が「1人も見捨てない」という考え方に共感する社会。そんな社会が本当に実現すると思いますか?悔しいし、切ないけど、それは難しいことだと思います。でも、その価値を分かっている人が1人でも多い社会にしたい。そう願っています。だから語り続けるのですよね?「1人も見捨てない」という言葉で救われる子もいれば、傷つく子たちもいます。関わりをもとうと思っても上手くいかなくて悩んだり、迷ったりすることだってある。決して簡単なことではないのです。そのことに教師自身がどれだけ自覚的でいられるか。『学び合い』が生み出す「傷」に自覚的になれれば、「反発する」子たちさえも愛おしくなります。毅然とした態度が求められる場面でも、語り口調に笑みが生まれるようになります。「よし!明日期待してるで!」って前向きに子どもたちの変容を待つことができるようになるはずです。

 

『1人も見捨てない』を語るその前に・・・あなたは実生活で1人も見捨てないを実践されていますか?1人も見捨てないって実は難しいことではないでしょうか?子どもたちに求めるその前に、自分の胸に手を当てて考えてみましょう。私はその難しさを自覚した上で語ることが大切だと考えます。それが「共感できる語り」への第一歩です。