空飛ぶかめ

小学校での実践について、あれこれ記録します。

僕が就労支援業界で働いた理由 その①

「なんで、教師にすぐなろうと思わなかったんですか❔」
「進路を決める上で大切にしてきたことって何ですか」
知り合った学生さんによく聞かれます。

そのときに、即答できないこともあり、
改めて自分の人生を振り返り、まとめることにしました。

簡潔に答えると、
「一生公務員の人生になる前に、他の業界でも働いてみたい」
「30歳になるまでに、自分が楽しいなワクワクするなってことにチャレンジしたい」
この2つが、僕が進路をきめていく上で大切にしてきたことです。
もっと簡潔に言えば、『直感』で生きてきました。

でも、そう思えるようになったのは、決して僕の性格からだけではなく、
これから記す経験が大きく影響していました。


①小学校教員との出会い
教師を目指したのは、フィットネスクラブでアルバイトをしていたときに、
知り合った小学校教員をされている会員さんから
「教える仕事好きそうだし、教師になったら❔』と言われたのがきっかけでした。
当時大学3年で就職活動の時期を迎えていた僕は、特別興味がある業界があったわけでもなく、公務員にでもなれたらなぁという漠然な思いしか抱いておりませんでした。

通信制で免許をとる大学があるんだよ。2年かかるけど、それでやったらいいじゃん」
そこで、初めて佛教大学の存在を知りました。

警察官になろうと思っていたんですが、
「2年かぁ。まっ自分で学費ためればそれでいいか。警察官で一生過ごすって想像できないし、なんか教師を目指す人生って楽しそう」と思い、、
警察官への道は捨て、思い切って教師を目指す人生を選びました。

なんで、そんな決断ができたのか不思議ですが、
教師を目指す人生にワクワクした感覚だけを頼りに、残りの大学生活はアルバイトや学校ボランティアをしながら、学費を貯めることにしました。


②2011年3月11日 東日本大震災

晴れて通信制の学生になることが決まったとき、震災は起きました。

津波の映像を見て、いてもたってもいられなくなって、
ネットでボランティア団体を検索。
6月にはyouth for 3.11のプログラムで東北の復興ボランティアに参加。
youthfor311.com

写真は6月の気仙沼陸前高田です。
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1週間のボランティアを経て、バスでの帰り道。
東京や大阪に当たり前のようにたつビルを見て、東北との違いに愕然としたことを覚えています。
『不自由なく生活ができている自分にできることは何だろう』と参加したメンバーと話合いました。

その後、youth for 311関西の運営スタッフに応募しました。
志の高い熱い学生さんにもまれながら、佛教大学の課題はそっちのけで、約半年間復興支援に微力ながら関わらせて頂きました。通信制で時間の都合に融通をきかせられる身分を利用し、京都や東京にいろいろな場所で学生と語り合いました。その過程で社会問題の解決を仕事にするNPO業界の存在を知ることになります。

NPO法人teach for Japanとの出会い
復興支援に関わらせてもらえたことで、震災以降日本が抱える社会問題に関心がいくようになりました。そのとき、知り合いの勧めで参加したNPO団体の講演イベントで、teach for Japan の代表松田悠介さんの話を聞き、学校ボランティアでも感じていた「貧困」「教育格差」の問題に貢献したいという強い思いを持つようになりました。
teachforjapan.org

また、ちょうどこの頃から、就職氷河期に苦しむ学生の姿がニュースでよく特集され、友人の中でも仕事を早期退職したり、就職活動に苦しむ後輩の話を聞く機会が増えるようになり、興味関心のベクトルが、東北の支援から、「貧困からもたらされる教育格差」や「学生の就労問題」「働き方」へと向かうようになりました。




その②に続く。