空飛ぶかめ

小学校での実践について、あれこれ記録します。

学校の前提を疑ってみること

 3学期になって、サークルタイムを月曜日と木曜日、金曜日の朝に最低でも週2回はするようになった。やっぱりボクはサークルタイムにもどってくる・・・なぜだろう。きっとサークルタイムに惹かれるものがあるんだよな。昨年は、サークルタイムをすることで1時間目の授業時間が削られ、授業時間が少なくなってしまい、授業進度が遅れてしまうという結果を招いてしまった。だから、今年度はサークルタイムを控えめにしようとしていたんだ。(公立というか…本校のパンパンなスケジュールでは朝にゆったりとサークルタイムをするのは難しいよね、とまで考えていた。)
 サークルタイムがない1日は流れ作業の用に過ぎ去ってしまいがちだ。例えば、月曜日の朝会が終わると授業開始まで残り5分ほどとなる。その後は朝の会として「朝のあいさつ」「体調チェック」「1日予定の伝達」がボクから指示があり、「はい、1時間目が始まりますよー。用意してー」という感じだ。子どもたち同士の会話の時間もなく、時間が来たら授業が始まる。この流れ自体に問題があるわけではない。どこの教室も大体はこのように一週間がスタートする。
 でも・・・「学習者中心の学びの場をつくろうとしている教室の1日の始まりがこれでいいのかな?」という問い立てをすれば話は別だ。ボクが小学生なら、どんな1日の始まりがよいだろう。まずは教室に来ると、担任の先生や友達が温かく迎えてくれる。朝会が終わった後はサークルになり、週明けなので、体調や土日の出来事についてペアとゆったり話す。まずは自分のことを話せる時間があること。ここに教師(学校の)予定消化的な時間の流れはない。

「土日は野球の試合があって・・」
「だらだらしてたなー」
「お母さんに怒られてさー」
「家族で出かけてー」
と子どもたちの日々のくらしが見えてくる。
子どもたちが思い思いのこと話す時間はボクにとっても大切だ。

なぜなら、日々のくらしは家庭と学校と地続きだから。学校の空間だけが、彼らの生活の場所ではない。サークルになることで、子どもたちの表情が見え、声の調子で子どもたちの状態を看ることもできる。その様子をうけて、子どもたちにかける言葉を考えていく。ほんの一瞬の時間だから、そこまで考える時間はないけど。彼らの表情を見て、言葉をかけることに意味があると思っているから。

ちょっとここまで。