空飛ぶかめ

小学校での実践について、あれこれ記録します。

共に創り上げること。

「君たち」はどうしたいのか、「ボク」はどうしたいのか。この2つからスタートを切ることは大切だ。それぞれの願いから始まることは、なんらおかしいことではない。でも、本来共に進むメンバーであるはずなのに、それぞれの考えを、あちら側とこちら側に分けてしまうから、一向に折り合いがつかない。分けていることに気づかず、話し合いの場もないのに意見を聞いただけで民主的な場であると混同する。これは教室リフォームに限らない。

 先週、動きがあった。有志の子どもたちが学級の月目標をつくり、その目標を黒板に書いたときのこと。一部の子たちで決めた目標だった。担当の子がサークルタイムでそのことを伝えた。ただ、クラスのメンバーは分かっているのか分かっていないのか曖昧な表情。「なんで、みんな反応してくれないの?」と悩むメンバー。「それはね、君たちだけで決めたからじゃないかな?」と振り返りをした。

 その翌日のサークルタイム。有志の子どもたちは、なぜ月間目標を立てたいのか、それをどのようにつくりたいのかを丁寧に話し、個々に大切にしたいことを書いてもらうため付箋を配った。その日のジャーナルにはこう書いてあった。「せんせー、決めるって時間のいることだね。なんか急いでやりすぎたかも。あと勝手に決めなくてよかった。みんなの目標が自分たちだけの目標になるところやった」

 ともに創り上げるって聞こえはいいけど、そんなスマートにいく話ではなく、本当に泥臭い。「私たち」の一員として、「ボクはこうしたい」を伝えたり、リーダーとして「こうあるべきだ」と伝えたり。断言するよりも、対話的にいきたいところ。ただ、ともに創り上げていくときに「こうした方が絶対にいい」と焦ったら、大抵上手くいかないんだ。そこには「ボクが」しかないのだから。