4〜6冊目「非・バランス」「秘密の道をぬけて」「お江戸の百太郎」

4冊目

非・バランス (講談社文庫)

非・バランス (講談社文庫)

  • 作者:魚住 直子
  • 発売日: 2006/05/16
  • メディア: 文庫
 

 誰しもが「何か」を抱えながら生きている。大学時代の自分を思い出した。何かに没頭することもなく、自分の物差しだけで付き合う人を選んでいた時期。アルバイト先で知り合った先輩たちの存在がボクを救ってくれた。「お前はお前でいいじゃない」あの不安定さで立っていられたのも先輩たちの存在があったからこそ。この本を紹介したい子の顔が浮かぶ。友達関係で悩みのある子や思春期にさしかかる時期の子たちは共感できるかも。

 

5冊目

秘密の道をぬけて

秘密の道をぬけて

 

 実話に基づく逃亡奴隷のお話。1850年代のアメリカだ。この11年後に奴隷制度をめぐって南北戦争が起きる。ストーリーは主人公の家族が逃亡奴隷の家族をかくまうところから始まる。物語はテンポよく進むので読みやすい。女性の参政権をはじめ、人権の尊重や自由を人々が求めた時代。歴史というのは一言でいうと、お互いの自由の相互承認を求める戦いなのかもしれない。確か、高校の世界史でアメリカの奴隷制について学ぶタイミングがあったのだけど、そんなときに関連づけて読めたらよかったな。

 

6冊目

お江戸の百太郎 (フォア文庫)

お江戸の百太郎 (フォア文庫)

  • 作者:那須 正幹
  • 発売日: 1992/10/01
  • メディア: 新書
 

 まだ第一話しか読んでないのだけど、面白かった。百太郎の鋭い推理力がテンポ良く物語を進めていく。まさにお江戸版名探偵コナン。お父さんは毛利小五郎かな笑 歴史を学ぶ6年生の教室に置いておきたいと思った。落語もそうだけど、物語を通じて、昔の生活や人間味に触れられる機会があるのはよい。教科書の情報や資料をより豊にしてくれる。それに、昔といっても、人間の面白さやずるさというのは今と大差ないことに気づけたりもする。ここ結構大切。そこまで人は変わらないんだよね。作者はズッコケ3人組を書いた那須正幹さん。後書きを読んで気づいた。

話は変わるけど、6年の歴史とこの本のように、読書家の時間と教科の学びを関連づけていける環境をつくりたいんだな。今読んでいる教科書をハックするでも提案されているけど、教科書以外のテキストが豊富であれば(質も大事)、子どもたちの予備知識や語彙の強化、学習内容の関連づけにもつながる。つまり、もっともっと本を手に取る必要があるのだけど。歴史ならこんな本がいいかな?(江戸時代限定)

江戸のお店屋さん (ほるぷ創作絵本)

江戸のお店屋さん (ほるぷ創作絵本)

  • 作者:藤川 智子
  • 発売日: 2013/11/01
  • メディア: 大型本
 
絵本 江戸のまち (講談社の創作絵本)

絵本 江戸のまち (講談社の創作絵本)

  • 作者:太田 大輔
  • 発売日: 2017/05/18
  • メディア: 単行本
 

 





 

3冊目〜魔法のスリッパ〜

図書室で目に止まった一冊。

魔法のスリッパ

魔法のスリッパ

 

 スリッパが大好きなスロゲットおじいさんがある日不思議なスリッパを手に入れる。それをはいてみると、力がみなぎり頭も冴え、オリンピック選手並みに速く走れたり、クイズ番組の問いにも全て答えられたり。「自分がスロゲットおじさんなら、どんなことに使うだろう?」とつい考えちゃう。強欲になって自分を見失っちゃうのかな?と予想してたけど、最後までスロゲットおじさんは自分のためじゃなく、誰かを喜ばせるために魔法を使おうとしていました。シンプルな展開でテンポ良く、終わり方もぼくは好き。最初から最後までほっこりする。あと、中学年向けの本って字も大きくて、あっという間に読めちゃう。外国の本だから、出てくるアーティストがオアシスやクイーンってところが難点だけど笑

 

 

2冊目〜海は見えるか 真山仁〜

「これ、かめにおすすめだよ」

 復興支援団体で活動していたときのメンバーに何冊かおすすめの本を紹介してもらった。もう9年前だ。教員採用試験もあって全部は読めなかったけど、灰谷健次郎真山仁の本が多かったことを覚えている。灰谷文学である天の瞳は全て読破。兎の目と太陽の子はまだ本棚の中だ。学生のときの方が小説を読んでいたかもしれない。今読むと必ず違った読みになるだろうな。3.11が近づいてくる。途中で終わっていた真山さんの本を手に取った。そして星の輝く夜がくるの続編だ。

海は見えるか (幻冬舎文庫)

海は見えるか (幻冬舎文庫)

  • 作者:真山 仁
  • 発売日: 2018/04/10
  • メディア: 文庫
 

当時のことをぼくはどう捉えていたのだろう。記録がなくて思い出せない。復興支援ボランティアの活動をしている自分の気持ちや行動を残しておけばよかったなと思う。さて、まもなく上映のフクシマ50。5日の朝日新聞では汚染土の処理施設に関する記事があった。再利用できる土もあるらしく、実用に向けて実験中だという。福島のこと。原子炉のその後。3.11で何が起きていたのか。ぼくは知らない。映画見てみようかな。

1冊目〜タンポポ空き地のツキノワ〜

中学年向けの本を読むことにした。

今日の一冊。

あさのあつこさんの本はバッテリー以来。

少しずつ2人の距離が縮まっていく感じがなんかいいな。次はいえでれっしゃとお江戸の百太郎。

 

「つい」したくなる学習の第一歩

学級活動の時間。先日の三連休に参加したファシリテーション国語で石川先生から教わった学習方法を追試した。「①聴写(ひらがなとローマ字で)②ローマ字短文作成⇒読み合い③「木」のつく漢字」の3つのメニューでひたすらホワイトボードに書いていく流れだ。書くことが苦手な子たちも意欲的に取り組んでいた。全員が学習に参加していたと思う。もし、ホワイトボードではなくノートを使ってやっていたとしたら、全員が学習には参加できていなかっただろう。書いたものをすぐ消せるホワイトボードの特性そのものが、子どもたちの学習へのハードルを下げることに一役買っているのだと思う。算数科や国語科などの「学び合い」型学習(1つの課題の達成を目指す授業)では、関わらない組み合わせの子たちが、聴写で書いた字や「木のつく漢字」を見せ合う時は顔を向き合わせていた。その姿がとても自然で、「どんな風に書いた?」「どんな漢字があるの?」と声をかけあっていた。学習ゲームの力だと思う。相手のことが「つい」気になってしまう。そこから生まれる自然発生的な学び合いの姿。今思うと、4月当初からこのような「つい」話してしまう学習ゲームをもっと取り入れておけばよかった。その姿を「ね、いい雰囲気で学習できたね。男女関係なく学び合うことができたね」と言葉で価値づけたり、言葉でなくともその時の様子をカメラにおさめて写真で見せてあげたり・・・。もっと参加のハードルを低くして、書くことって、学ぶことって、誰かと話し合うっていいなと体験的に学ぶ機会をつくる。これが残りの3学期と来年度に向けての宿題になりそうだ。このホワイトボードをつかった学習は、国語の最初の5分で行えるように週5コマの帯を利用して、「聴写」「ローマ字」「漢字ゲーム」とメニューをしぼり、何度もくりかえしていこう。

 

 

凡人なりに。なにを焦っておる。

各所でいろんな動きがあるけど、ボクは以下ののことが半分以上達成できたら合格を自分に出していたよ。ということで、今年度は合格多め。ハードルは低く。何を焦っておる。凡人なりに進んでいけばよいのである。

 

☑︎笑顔で。ニコニコ過ごす。

☑︎子どもの言葉を翻訳する。そのまま受け取らない。

☑︎1日1回は自己選択自己決定がある子どもたち主体の授業がある。

☑︎先生だけが決めるのではなく、子どもたちと一緒に決める。

☑︎振り返りを書く。

☑︎15分読書する。

 

 

 

 

 

子どもたちはあなたをどう見ているのか

「ボクが子どもたちをどう見ているかではなく、子どもたちがボクのことをどう思っているのか」

アダンの会で話題になった。確かこの本からだったかな? 

他者と働く──「わかりあえなさ」から始める組織論 (NewsPicksパブリッシング)

他者と働く──「わかりあえなさ」から始める組織論 (NewsPicksパブリッシング)

  • 作者:宇田川 元一
  • 出版社/メーカー: NewsPicksパブリッシング
  • 発売日: 2019/10/04
  • メディア: 単行本
 

 

先生というのは基本的に話をしたがる人。
指示をしたがる人。目標を掲げたがる人。

「先生は君たちのことをこう思っている。だからこうした方がいい」
「今の君たちには○○が必要だ。だから○○を目標にしてがんばろう」
「全員が○○をできるようにする。そのためにどうすればよいか考えようね」

➡は教師から子どもたちへ。昨年までのボク。

➡を逆向きにしてみよう。

「ボクは先生やクラスのことをこう思っている。だからこうした方がいいんじゃないかな?」
「先生、クラスには○○が必要だよ。だから、こんな○○を目標にするのはどう❔提案してもいい?」
「先生、まだ○○ができていない子がいるんだけど、どうしたらできるようになるかな?私はこう思うんだけど・・・」

上は極端な例だけどさ。気がつけば、多くの教育活動が教師➡子どもたちになりがちだよね。もちろん、教師から子どもたちへの働きかけをゼロにしようってのは無理な話だ。だがしかし、教室は子どもたちと共につくる場所。民主的な国家をつくる担い手を育てていくのであれば、➡は「教師⇔子どもたち」[「子どもたち⇔子どもたち」であるべきだよね。その⇔が自由に動いていける空間。子どもたちがちゃんと➡を出せること。それが社会に参画していくということ。たどり着くゴールが(先生が)描いたものとは違っていても。教室はその経験を積める場所になっているのか。➡が一か所から一方通行の方が楽かもしれない。でもそれは、ただ「先生がつくりたい場所」になっているだけじゃないのかな。

先生が最初からゴールが決めるプログラム。
先生が決める話す時間。
先生が決める学び方。
先生だけがつくる評価基準。
先生がつくる教室レイアウト。
先生が決める掃除のやり方。

学校生活の各所にある意思決定の機会を先生が奪ってしまっていることに気づかない。もちろん、枠は必要さ。そのときにあった責任の持たせ方、任せ方ってのもある。それを見極めるのはボクたちの腕の見せ所。ただ、その見極めることさえも、子どもたちと相互チェックしていけるといいよね。

難しくて、泥臭くて、時間はかかる。そんな場をつくる大切さに気づいているのに、何を勝手に自分だけで決めているのさ❔君がつくりたいやり方を押しつけてどうする?もっと子どもたちに聞いてみてごらん。「どう思う?」その一言でスタート切れるんだぜ。

顔がこわばっている。まだ自分の方が正しいと思っているだろう?

子どもたちは先生をどう見ているんだろう?
子どもたちは教室をどう見ているんだろう?
子どもたちは授業をどう見ているんだろう?

ちがう意見が出てくるのを恐れるな。
ちがって当たり前だ。分かっていただろう?
子どもたちが育っている。
それはあなたの旗がなくなっても成り立つかい❔
まずは試してみようぜ!ってマインド持てているかい❔
ほんとうに任せる気あるかい❔
いざとなったら、任せた責任をもてるかい❔
自分のこだわりを大切にする勇気と捨てる勇気を持てているかい❔

最近読んだ本①

ついに読みました。

鬼滅の刃 1 (ジャンプコミックスDIGITAL)

鬼滅の刃 1 (ジャンプコミックスDIGITAL)

 

子どもたちが給食中に「かけてかけて!きめつの歌」と言っていた歌。何の歌か年明けまで分かりませんでした。この漫画の主題歌だったのです。

感想を一言で言うと、展開がはやすぎます。主人公が強くなるための、鬼を倒したいと思う動機づけまでの展開があっという間。気がつけば修行しています。

 

まさに定番の展開。

写真は以下より引用です。

ワンピースもナルトも孫悟空超サイヤ人になるときも。作家の時間のミニレッスンで使えそうです。

f:id:metch96:20200104174813j:image

https://www.promotion173.com/entry/story-profile

 

面白いので読み続けます。

理想と現実

 寝かしつけでまた寝落ちしてしまった。中途半端な睡眠で寝れない。息子が年末から体調を崩していて、寝かしつけに時間がかかっている。夜は咳も出やすいようで本人は辛そう。お昼は元気なんだけど。ぐっすり寝れるようにと背中をさする。気がつくと自分も意識を失っている。こんな日々。

 最近のボクはいろんなことに興味関心がなくなってきている。昔抱いていた想いが崩れるわけではなく、消えていっている感じ。『学び合い』を熱く発信してたときが遠い昔のように感じる。実践を報告したり、セミナーに足を運んだりと、外の学びの場に身を置くことも少し辛くなってきている。体力的にも精神的にも。他の方が企画する場で実践を報告したり、運営側に立たして頂くチャンスを頂いたときも、自分の都合でそのチャンスを棒に振ることが多々あった。迷惑をかけてしまったこともある。そんな経験が重なってからか、誰かに迷惑をかけず、学べないだろうか。外にアクセスしたり、その企画の中心に立たなければ迷惑をかけることはないかもと考えるようになった。一方、一人で黙々と振り返る時間は好きだ。今年度はechoに1日の振り返りをみっちり書くことで、自然とリフレクションが起きている。さらに、感じたことを気のおけない誰かと話をして振り返る。もうそれだけで十分。

 教員としてのあり方だけでなく、学びのあり方もだんだんと重なってきた。理想と現実のギャップを少なくするためにはどうすれば良いか定まってきている感じ。もっとこうしたかったとか憧れはあるけど、もういいかな。少し切ないけれど。

教育論文を読む

教育論文を読む

 質問づくりの研究論文や東京書籍教育賞の論文を読みこんでいる。まず、論文は分かりやすい。構成がはっきりしているし、かつ内容が重厚。実践をよりよくしていくためには記録と評価、振り返りが欠かせないと痛感する。無闇やたらに「〜な実践してます。〜をやって子どもたちは意欲的…」みたいな発信をしても上っ面だけになるだけだ。過去の自分はそこに『学び合い』で起こるエピソードを書き連ねていたから、まだマシと思っていた。しかし、1つの授業実践において子どもたちにどのような変容があったのか、課題は何なのかなど、授業の記録や評価、振り返りの積み重ね無しに実践は語れないのだと思う。その考え方で大地の会の報告を振り返ると何とも薄っぺらい。子どもたちの学び合う様子を見せて終わってしまっている。課題の作り方とその課題のインストラクション、学びこぼしのカバーを子どもたち同士の協同だけでなく、プログラムデザインからアプローチすること。話を聞けて良かったなと思っていただける提案ができるようになりたい。そのために、教育論文や授業記録の書き方から積み重ね方を学ぶ。目の前に起きている実践を丁寧に見つめるてことが「今の自分」にできることなんだ。

 3月も質問づくりにチャレンジしようと思う。この実践の課題となっているのは質問づくりそのものではなく、ボクの「だらだらインストラクション」にありということが分かったから。その他の授業でも同じ。動画をみてわかったけど、ボクは話が長い。ここ要改善。教員としての基本的な技術に課題があることを実践チャレンジが前に出過ぎて見落とさないように。