空飛ぶかめ

小学校での実践について、あれこれ記録します。

ファシリテータートレーニング

まだ、試験を受けたことはないのですが、読めば読むほど発見があります。

今週は心新たに子どもたちとファシリテーターレーニングにチャレンジしました。テーマは「エピソードを語ろう」です。お題は最近①ハマっていること②がんばっていること③楽しかったことの3つです。
子どもたちの中でボランティアを募り、まずはボクとのペアトークでモデルを見せました。その後はスライドでつくった私の構成要素を見せながら、エピソードの意味や情報を深めることの大切さをインストラクションしました。ただ、このインストラクションの質はまだまだで、ボク自身がグッドモデルを参考にしながら、スキルアップしないといけないと感じています。(ひとまちの講座に参加しよ)

 

子どもたちに「エピソードって結局何なの?」聞くと、次のような言葉が返ってきました。

「自分のしたことや感じたことを相手が想像できるように話すこと」
「あー、そんな風に過ごしてたんだ!って、相手に自分の感じてたことが伝わるお話し」

子どもたちの方が的を得ていて、ボクのだらだらしたインストラクションより分かりやすかったです苦笑 来週もサークルタイムでたっぷり時間をとって、土日の出来事をエピソードまで話すことにチャレンジしていきます。振り返りジャーナルの書く量も少しずつ増えてきています。
「エピソードを教えてください」これって魔法の言葉だなと思います。エピソードを語り合うことで、相手のことを深く知ることができ、関係が豊かになっていくからです。

何年もやってきたと思っていましたが、それはただやっていただけで、大切なことは何も子どもたちに伝えられていなかったのかも…これまでを振り返って感じています。「何のためにするのか?」「なぜ大切なのか?」その価値を語ることを怠っていました。

ようやくですが、少しは足元を見て歩いていけそうな気がしています。がんばろ。

百人一首ワークショップ①

「ずっとこのワークショップをやりたかった」「とても楽しかった」
 作家の時間や読書家の時間以外のワークショップでこんな感想がでてきたのは初めてだった。2学期にチャレンジした社会科ワークショップでは、探究テーマを決められなかったり、何が大切な情報なのかを判断できなかったりと、ワークショップの学習過程で苦しむ子たちが多くいた。(気になったことをどんどん調べて、ワークショップを楽しんでいる子たちももちろんいた)時数が大幅に膨れ上がり、振り返りも十分にできなかった。そのため、よく言われる「活動あって学びなし」の状態になっていた子もいただろう。子どもたちはどのように考えていたのかな。学びを深めるというよりも、ただ自由に過ごす時間があるということだけがワークショップのメリットと感じていた子もいただろうなと思う。
 さて、今回の国語のワークショップは上に書いた社会科ワークショップの反省もあって、探究テーマを選びやすく、深め方も子どもたちにとってシンプルなものにすることにした。この単元の目標は2つ。1つ目は、言葉のひびきを大切にしながら、リズムよく短歌の音読や暗唱ができること。2つ目はボクのオリジナルだけど、自分のお気に入りの短歌を一首選び、その短歌の意味を説明したり、情景を想像したりできるようになることだ。二つ目の目標は教科書のワークシートにお気に入りの短歌を選ぼうという課題があったため、その内容を単元の目標に入れ込むことにした。
 
〇ワークショップのミニレッスン
 ワークショップ2日目のミニレッスン。短歌の暗唱だけに時間をかけてしまう子たちがいたため、短歌の探究の方法についてミニレッスンを行うことにした。ボクがこう学びなさいと指示しないように。子どもたちの声で学び方を思考・試行していくために、学習の手引きに載せた学習目標を達成するには、どのように学習ができるか子どもたちに聞いてみることにした。

「今回の単元の目標をもう一度確認するよー。1つ目は言葉のひびきを大切にしながら、リズムよく暗唱できること。これはみんなできてきているね。少し物足りないかなーと感じているのが、2つ目の目標のお気に入りの短歌を選んで、その短歌の意味を説明したり、情景を想像したりすること。ただ、短歌を暗唱するだけでは、その短歌の良さは分からないよね。どうやって学べば、作者の思いやその歌の情景が思い浮かぶかなー?となりの人と話し合ってー」

「短歌の4コマを見るのもいいよね」
「かなせんがスマホで見せくれた百人一首ノートで情景を確認する」
「分からない言葉の意味を調べる。錦の織物とか」
タブレットで調べてもいいかもー」
聞いてみると、案外いろんなアイデアがでた。

「そうそう。そういう感じで学ぶと、その短歌の情景が想像できるようになって、もっと深くその短歌のことを知ることができるよね。ただ意味を覚えようとするのではなくて、まずはその短歌の情景や言葉の意味を調べて、短歌の世界を想像できるようになろう。ワークショップの時間は、君たちの学び方次第でいくらでも面白くなるんだよー。目標を達成できるように、ただ読むだけじゃなくて、君たちが言ってくれたようないろいろな学び方にチャレンジしてみよう」

手前みそだけど、いい価値のインストラクションになったと思う。学習指導要領や指導書を参考にした学習目標を元に、どう学べよいかを考えるのは初めてだったんだけど、結構いろんなアイデアがでるものだ。ボクの懐だけでおさめるのではなく、手持ちの情報を全面的に開示して、「みんなはどう思う?何かアイデアある?」と聞いてみるって、学習者中心の授業をつくる上で大切だよな。授業づくりネットワークの井上太智さんの実践(中学理科)でも、学習指導要領の目標を元に、問いづくりをする導入が紹介されていた。その記録を見たときは、「こんな難しい実践できるわけないよ。かしこいからでしょ、子どもたちが」と感じていた自分がいたけど、どうもそうではないみたい。子どもたちに伝わる言葉で提示することはもちろんだけど、何より大切なのは、子どもたちと共に授業をつくろうとする教師の在り方なのかもしれない。「どう思う?」と聞いて、「特にないかなー」という返事が来るを恐れていたのかな。今はその返事も含めて、子どもたちの考えが知りたくて、自然と「どう思う?みんな」と聞けるようになった。

学校の前提を疑ってみること

 3学期になって、サークルタイムを月曜日と木曜日、金曜日の朝に最低でも週2回はするようになった。やっぱりボクはサークルタイムにもどってくる・・・なぜだろう。きっとサークルタイムに惹かれるものがあるんだよな。昨年は、サークルタイムをすることで1時間目の授業時間が削られ、授業時間が少なくなってしまい、授業進度が遅れてしまうという結果を招いてしまった。だから、今年度はサークルタイムを控えめにしようとしていたんだ。(公立というか…本校のパンパンなスケジュールでは朝にゆったりとサークルタイムをするのは難しいよね、とまで考えていた。)
 サークルタイムがない1日は流れ作業の用に過ぎ去ってしまいがちだ。例えば、月曜日の朝会が終わると授業開始まで残り5分ほどとなる。その後は朝の会として「朝のあいさつ」「体調チェック」「1日予定の伝達」がボクから指示があり、「はい、1時間目が始まりますよー。用意してー」という感じだ。子どもたち同士の会話の時間もなく、時間が来たら授業が始まる。この流れ自体に問題があるわけではない。どこの教室も大体はこのように一週間がスタートする。
 でも・・・「学習者中心の学びの場をつくろうとしている教室の1日の始まりがこれでいいのかな?」という問い立てをすれば話は別だ。ボクが小学生なら、どんな1日の始まりがよいだろう。まずは教室に来ると、担任の先生や友達が温かく迎えてくれる。朝会が終わった後はサークルになり、週明けなので、体調や土日の出来事についてペアとゆったり話す。まずは自分のことを話せる時間があること。ここに教師(学校の)予定消化的な時間の流れはない。

「土日は野球の試合があって・・」
「だらだらしてたなー」
「お母さんに怒られてさー」
「家族で出かけてー」
と子どもたちの日々のくらしが見えてくる。
子どもたちが思い思いのこと話す時間はボクにとっても大切だ。

なぜなら、日々のくらしは家庭と学校と地続きだから。学校の空間だけが、彼らの生活の場所ではない。サークルになることで、子どもたちの表情が見え、声の調子で子どもたちの状態を看ることもできる。その様子をうけて、子どもたちにかける言葉を考えていく。ほんの一瞬の時間だから、そこまで考える時間はないけど。彼らの表情を見て、言葉をかけることに意味があると思っているから。

ちょっとここまで。

メモ ワークショップと子どもたちの学び

・ライティングワークショップの本に書かれている通りやらなければ、書くワークショップとは言えないのか。そんなはずがない。そもそもワークショップとは何かを分かっていないだけでは?社会科ワークショップでも同じこと。

 

・ワークショップとは何か?参加者が主体となって学び進める授業であれば、ワークショップと言えるのか。現在、国語と社会の単元でワークショップ型授業をしている。きっと、これはワークショップ型なのだろう。で、ワークショップとはどういう意味なのか。

 

・その子の「今」に合ったアプローチの仕方は色々なメソッドや名前のついた活動にあるのではなくて、子ども一人ひとりの観察からしか得られない。

子どもたちを「みる」

明日から3学期がスタート。

これまでの中で1番落ち着いている感じ。

(寝る前だからそりゃそうか)

明日は天気がくずれるみたいだから、

早めに出勤していろいろ準備しよう。

落ち着いて子どもたちを迎えたい。

 

やることメモ

□黒板メッセージ

□配布物と回収物のチェックリスト

□簡単清掃

□ニコニコ笑顔(これ大事)

□多目的室の予約(久しぶりにPAする)

(これね、事前にやっとけよってやつね…)

 

PAはこんな感じでどうかな。

遊ぶ要素をたくさん。まずはHUVE FUNから。

1.じゃんけん大会(勝ち3・負け3)

 3人中一度は異性と…そういう段階。

2.ウエスタンじゃんけん

3.〜じゃんけん

4.ハブユーエバ

5.振り返り→ジャーナル

 

こんな感じかなぁ。

 

あ、あと明日からechoの振り返りも再開する。前書いたのは11月。もう3ヶ月も書いてない。

 

振り返りを再習慣化したい。

退勤前の10分と電車の10分でメモメモ。

少し振り返りの窓も増やしたい。

コルトハーヘンの観点をスマホにメモ。

子どもたちを「みる」50日間にしたい。

見れるかなぁ。一斉授業やったことで

マイペースで進める感覚が染みつきつつある…。

いいスタートが切れるとよいな。

 

コルトハーヘンの8つの窓

僕は何をしていたのか?(DO)
僕は何を考えていたのか?(THINK)
僕はどんな感情をもっていたのか?(FEEL)
僕は何をしたいのか?(WANT)

相手は何をしていたのか?(DO)
相手は何を考えていたのか?(THINK)
相手はどんな感情をもっていたのか?(FEEL)
相手は何をしたいのか?(WANT)

 

 

幹がしっかりしていれば、枝葉はついてくるはず。以上。

 

 

国語科を学び直す

今、国語科を学び直している。教員5年目(現在7年目)から、作家の時間や読書家の時間にチャレンジしてきた。その過程で浮き彫りになったことは、自分の教材研究不足だった。そのことが一番分かりやすかったのはワークショップのミニレッスンをつくるときだ。作家や読書家の時間の本に載っているミニレッスンをやりきると、中々思いつかない。子どもたちの作家ノートを毎時間集めては、子どもたちなりの書き方の工夫を見つけて、それをミニレッスンや共有タイムで伝えるようにして乗り切っていた。このように書くと聞こえはよいが、この乗り切るという状態が問題だ。ボクには子どもたちの読み・書きを促進する引き出しがほとんどないことが昨年と今年のチャレンジでよくわかったのだ。例えば、教科書の教材や教室にある児童書から、書く・読むのレッスンを考えることができない。教科書を教える授業になるから、一斉授業を続けて、余裕が生まれたらワークショップをする。こんな状態では、いつまで経ってもワークショップは子どもたちにとって学びのあるワークショップにはなることはない。ここまでのことを簡単にまとめると、もっと自分の国語科に対する知識を深めたい。それが今ボクの1番の探究テーマだ。

 

このような問題意識をある方に聞いて頂いたところ、一冊の本をご紹介頂いた。「文学の力✖️教材の力」である。読んでいるが中々理解できない。

 

テクストとは?

原文と本文のちがい!?

本文は虚像にすぎない…?

 

本当の分かるが説明できることを指すなら、一体いつになればその状態になれるのだろう。途方もないところに足を踏み入れた気がする。本当に分からないのだから…。何度も読み返して、理解できるようにまとめなおし反芻していきたい。

 

問題は本を読めないだけではない。問いだらけの自分の頭の中もぐちゃぐちゃだ。普段の不安定な授業を振り返るたびに、自分は国語科をどんな教科だと思っているんだろうと。

 

物語文や説明文を読む意義は?

読むとは?

書くとは?

聞くとは?

話すとは?

言語生活が豊かになるとは?

国語科を通して、どんな子どもたちを育てたいのか?

 

学習指導要領や教育書から引っ張り出せば、答えらしきものはすぐ見つかる。だが、コピーペーストでは本当に理解してるとはいえないだろう。とって付けたようなものは、時間が経てばすぐ剥がれ落ちていく。自分の頭でじっくり考えたい。自分の言葉で語れるようになりたい。

 

今読んでる本たち。

他にもあるけど…猛勉強するしかない。

 

 









 

 

ファンタジーの共有と仲間意識

授業づくりネットワーク「個別最適な学び」をようやく読み終えることができた。

 

読んだ感想というと?

「個別最適化」や「個別最適な学び」という言葉はよく耳にしていたけれど、「結局、何をもって最適化と言えるの?」という状態だったし、自由進度学習、『学び合い』、UDL、ICT、オルタナティブ、ケア、宿題、学習環境などの多様な視点・実践を通して、「個別最適な学び」について考える機会を得られたのは良かったと思う。

 

良かったことは?

 うーん、良かったことは発見がたくさんあったこと。たくさんあるから、今回は一つだけ。阿部隆幸先生の『学び合い』の視点から、個別最適な学びと協働的な学びについて考える論がいいな!って思った。特に印象的だった箇所は、ファンタジーの共有と仲間意識という章で引用されていた日本協同教育学会『学習の輪』という本のメンバー間に協力関係を生み出す10のポイントが記されていたところ。以下、引用。

 

  1. 目標の共有から生まれる協力
  2. 役割分担上の協力
  3. 作業自体に埋め込まれた協力
  4. 学習資源(道具や教材)の共有による協力
  5. 学習情報(知識・情報・経験)の共有による協力
  6. 学習空間共有のための協力
  7. ファンタジーの共有による協力
  8. 仲間意識による協力
  9. 外的挑戦に対する協力
  10. 報酬のための協力

 

「協力しよう」と大人も子ども簡単には口にするけれど、上に書いてあるように条件、環境、方法など様々なシチュエーションがあるのだと新しい気づきがあった。以下は「ファンタジーの共有による協力」と「仲間意識の協力」についての解説文の引用。

 

「ファンタジーの共有による協力」とは、「目標の共有から生まれる協力」を超えて、より大きなミッションを共有することと説明されています。例えば、自分自身の目標達成と共に級友を認め合い高め合うような学級目標になっていて、それが単なるお飾りではなく学級の構成員の多くがその実現を目指している場合、この類の協力として形に現れます。自分自身の学びを進めながら(個別最適な学びを進めながら)、級友の学びに寄与し合う(協働的に学ぶ)ことにつながります。

「仲間意識のよる協力」とは、自分たちを互いに仲間と認め合うことで自然と協力し合う気持ちが生まれてくるものと説明されています。例えば、学級内の多くの構成員がこの気持ちを共有していたら、課題の内容や取り組む方法が異なっていても(個別最適な学びを進めていても)、相手は何をしているのだろう、何か困っていることはないかな、自分はここで困っている状態なのだけどちょっと助けてもらえないかなぁなどと考えた活動(協働的な学び)が見られるということです。

 

上にあるように、学級内で共に目指す大きなミッションがあれば、教師がいちいち語らなくとも、教室空間にはそのミッションを達成するための行動が現れるようになる。例えば、そのミッションが「1人でも見捨てない」「自分とみんなを大切にする」という類のものであれば、学習が個別化されても、ゆるやかな協働、つまり子どもたち同士のつながりが保障されるのだろう。苫野さんが提案されていた「学習の個別化・協同化・プロジェクト化の融合」という言葉を思い出した。「個別最適な学び」が孤立した学びにならないためには、必要な人と必要に応じて、人間関係の濃淡を超えて教え合い学び合える環境があるどうかがポイントなる。このことから、『学び合い』の考え方で学級経営や授業を行っていくことが、「ファンタジーの共有による協力」「仲間意識にようる協力」と親和性の高いものであるという阿部先生の解説は大きく頷ける。

 

これからどうしたい?

一方、現在ボクが担任しているクラスには学級目標がない。ここ数年作れていない。子どもたちとは機会があれば、「今、君たちにとってこのクラスはどんな場所になっている?これから、どんな場所にしていきたい?」と話し合うことはよくあるのだけど・・・教室内でいつでも見れるような掲示物にはしていなかった。子どもたちの様子を見る限り、子どもたちにはボクの大切にしていることが少しは伝わっているかな?とは感じてるのだけど、「私たちにとってどうか」という点では自信をもって語れないと感じている。学級目標をつくることが目的ではなく、ともに過ごす学級という場所を「どのような学びの場所にしたいのか」、加えて「私たちはどうしたいのか」という視点で考え直していきたい。あっという間の3学期だけど、サークルタイム+しつもんの技カートやしるらないカードの力を借りて、話し合ってみよう。

それにしても「ファンタジーの共有による協力」という言葉がよいなぁ。ふんわりとしててもいい。理想とする教室(社会)を目指して、協同性がつくられていく場所ってすてきだし、そのような社会であってほしいと思うもの。学習の輪の本も、昔は難しすぎて断念してしまっていたから、もう一度読み直してみよう。振り返れば振り返るほど、読む本が増える。引用文をメモしたり、それについて感じたことも都度修正していかなければ・・・。

 

 

探究の種は身近にある

ホワイトボード・ミーティング学校教育編に参加したときの気づきをメモ。

 

最近、話題の探究という言葉。「探究」というと、大きなテーマでなければならないという思考に陥りがち。でも、探究は自分の好きなことをとことん追究する会社活動と同じように、僕たちの身近なところにある。それは最近ハマっていることや悩んでいること、もっと知りたいことなどなど、探究の種は人それぞれちがう。ホワイトボード・ミーティング講座では、ヨガや絵本、家事、食べ物、スポーツなどが探究テーマとして挙げられていた。一見シンプルなんだけど、オープンクエスチョンで深めていくと、参加者それぞれのエピソードがあり、とても興味深かった。違うからこそ面白いし、「あぁ、ボクも気になってたんだよね」って共感できることも多かった。

 

 日常の生活の中に、実は探究のサイクルは既に回っていて、(それも無意識に)意識して捉えていくだけでも、自分の中で「探究」という言葉がはっきりと浮かび上がってくる気がした。加えて、ホワイトボード・ミーティングの問い立てのフレームを使うことで、お互いの探究について深めていくことができる。これはスキルだから、練習すればできるようになるんだよね。シンプルで取り入れやすく、使い方によってはとても奥深いものになっていく。ホワイトボード・ミーティングの魅力に魅せられた2時間だった。教室のいたる場面でこのフレームは使えるし、3学期はホワイトボード・ミーティングにどんどんチャレンジしていきたい。本当楽しみ。

 

あともう一つ。自分はエピソードを話すのがまだまだ下手だと思った。エピソードは事実+感情で構成されるもの。話が長ければいいというわけではなく、頭の中に動画モードで情景が浮かぶような話ができるかどうかが大切。ただ「エピソードを教えてください?」と聞かれたからとて、上手く答えられるようになるものでもなく、話し手として練習が必要になるだろつ。講師の方にお聞きすると、状況に応じて、モデルとなるエピソードはいくつか用意しているらしい。そりゃそうだよなぁ。せいこさんの私の構成要素のレクチャーでも、ドリカムのコンサートのエピソードはとてもシンプルで、かつその時の情景が思い浮かぶような話になっている。教室で子どもたちにモデルを見せる時、どうしても行き当たりばったりになりがち。少し準備をしてエピソードを話す時間を作ったり、子どもたちとエピソードを話す練習をする時間をつくったりしていきたい。しばらくは、ホワイトボード・ミーティングが探究のテーマになるかも。

 

【オンライン】ホワイトボード・ミーティング®学校教育入門編(第2期・第1回) - 株式会社ひとまち

聴いてくれる人がいるから話せる。

当たり前のこと。すごく当たり前のこと。この前、久しぶりにホワイトボードミーティングに参加して感じたこと。

 

まずは横山さんから探究のサイクルのレクチャーがあり、「私の探究していること」(多分こうだった?) というテーマで参加者同士の対話がスタートした。最初は耳だけの参加だったから、他の参加者の話に耳を傾ける時間になった。テーマを伝えられたとき、自分はすこーし焦っていた。(僕なら何を話すかな。思いつかないなー。そういえば最近仕事以外のことで楽しむ時間をもてていないかも。例えば、あぁ、息子たちとしてることなら話せるかなぁ…)と頭の中はぐるぐる。上手く話さなきゃとガチガチモードになる自分。

 

対話がスタートした。こんな自分に対して、同じグループになったお二人の対話はとても自然だった。うーん、そうだなー…と口にしながら、ゆっくりと紡がれる言葉。オープンクエスチョンで情報が深まり、具体的なエピソードが語られていく。収束の良かったこと・困ったことで視点がしぼられ、活用で次のステップを考えていく。思えば、自分が聴き手になるわけでもなく、話し手になるわけでもなく、サイドワーカーのような立ち位置にいたからこそ感じるものがあった。

 

(あぁ…そうなんだよね。上手く話はことが目的なんじゃなくて、問うことで話し手の思いを引き出すんだよね。)

 

聴き手がいて、話すまで待ってくれる空間があるからこそ、言葉が生まれる。問いから生まれる言葉の数々。話そうとするのではなく、引き出される感覚。お二人の姿を見て、聴き手がいるからこそ、知っていた自分や知らなかった自分に出会うことができる。聴き手の役割の大きさと言えばいいかな…いや、聴き手がいてくれることの有り難さを感じたんだよね。

 

極々当たり前のこと。聴いてくれる人がいるって素敵だなって思った。