空飛ぶかめ

小学校での実践について、あれこれ記録します。

聴いてくれる人がいるから話せる。

当たり前のこと。すごく当たり前のこと。この前、久しぶりにホワイトボードミーティングに参加して感じたこと。

 

まずは横山さんから探究のサイクルのレクチャーがあり、「私の探究していること」(多分こうだった?) というテーマで参加者同士の対話がスタートした。最初は耳だけの参加だったから、他の参加者の話に耳を傾ける時間になった。テーマを伝えられたとき、自分はすこーし焦っていた。(僕なら何を話すかな。思いつかないなー。そういえば最近仕事以外のことで楽しむ時間をもてていないかも。例えば、あぁ、息子たちとしてることなら話せるかなぁ…)と頭の中はぐるぐる。上手く話さなきゃとガチガチモードになる自分。

 

対話がスタートした。こんな自分に対して、同じグループになったお二人の対話はとても自然だった。うーん、そうだなー…と口にしながら、ゆっくりと紡がれる言葉。オープンクエスチョンで情報が深まり、具体的なエピソードが語られていく。収束の良かったこと・困ったことで視点がしぼられ、活用で次のステップを考えていく。思えば、自分が聴き手になるわけでもなく、話し手になるわけでもなく、サイドワーカーのような立ち位置にいたからこそ感じるものがあった。

 

(あぁ…そうなんだよね。上手く話はことが目的なんじゃなくて、問うことで話し手の思いを引き出すんだよね。)

 

聴き手がいて、話すまで待ってくれる空間があるからこそ、言葉が生まれる。問いから生まれる言葉の数々。話そうとするのではなく、引き出される感覚。お二人の姿を見て、聴き手がいるからこそ、知っていた自分や知らなかった自分に出会うことができる。聴き手の役割の大きさと言えばいいかな…いや、聴き手がいてくれることの有り難さを感じたんだよね。

 

極々当たり前のこと。聴いてくれる人がいるって素敵だなって思った。