空飛ぶかめ

小学校での実践について、あれこれ記録します。

『学び合い』は歴史から学べる

昨年Twitterでも書いたんですけど、

 『学び合い』の実践者は、皆同じ壁にぶつかるのかもしれない。レールに乗ってるかのごとく。ただ、他の実践と違うところは、その失敗に対する改善方法が、膨大な研究により蓄積されているということ。本の悩みに対する答えが書かれているということ。今更ながらすごいと思う。

 

歴史は繰り返すという言葉があります。『学び合い』も先人の失敗から学ぶことができるんです。それが数多くの本にまとめられています。

 

最近読んで、大いに共感した本がこちら。

 

私は『学び合い』にこれで失敗し、これで乗り越えました。

私は『学び合い』にこれで失敗し、これで乗り越えました。

 

 

実はこの本、一度読んだことあったんですけど、全ページに目を通したら売っちゃいました笑

 

昨年の9月から『学び合い』に再チャレンジして、「まとめをした方がいいのでは」と悩み、、、しかもこの悩みは一昨年もあったこと。同じ失敗を繰り返していたんですね。

 

そのことをツイートすると、西川先生から上記の本を読むように勧められ、再購入笑

 

1回目読んだときは「あー、なるほど、こんな失敗が予想されるんだ。想像できるよ」程度だったんですけど、もう一度読むと全くと言っていいほど得られる感覚が違うんです。具体的にいうと、1回目と共感する部分が違うかったり、線を引く場所が変わっていたりといった感じです。再読する良さですよね。

 

例えば、第3章 深山智美さんの実践から

「一人も見捨てない」という言葉をそのまま使ってもわかりにくいので、その言葉を行動として教師が見せることから始めます。その言動一致の姿を授業以外の時間でも常に行うことがとても重要です。それを切り離すと矛盾してしまうので、理解がとても遅くなったり、違和感から不信感を募らせたりすることになります。教師の姿は、子どもの鏡なのです。言動と行動を一致させることで理解の一助となり、一斉授業から離れ『学び合い』の授業ができるようになります。加えて、教師が今の『学び合い』に満足せずに常にその様子を振り返って集団と個別の見取りをバランスよく継続することでしょう。教師が『学び合い』の結果に満足してそれ以上の見取りを怠れば、あのクレームを受けたようなしっぺ返しがあります。集団の見取りの継続は、『学び合い』をする上では必須だと考えています。

 

見取りとは『学び合い』の時間に、子どもたちの様子を観察して、今こんな状態だよと可視化すること。簡単に言えば、良いことを褒めたり、いまいちなところは「〇〇さんが困っているけど、このことについて教えられる人はたくさんいるよねー」と遠回しに伝えたりといった具合です。最後の説教も含まれるでしょう。

 

私も、12月ごろある程度集団が成熟し、ただぼーっと眺めているだけでも授業が成立するようになってきたときがあったのですが、しばらくするとまた上手く流れなくなってしまったことがありました。原因ははっきりしています。私がさぼっていたんです。極端にほめる回数が少なくなっていたんですね。

 

そんなとき、深山さんのお話を読んで、すぐ我に返りました。

この本は、よーくできています。『学び合い』の実践者なら、一度は皆通る道がまとめられている。そして『学び合い』を実践するなら、この本はずっと手元に置いておいたほうがいい。

 

失敗を経験せずに読むのと、失敗してから読むのでは、自分の腹に落ちる感覚に雲泥の差があるからです。だからこそ、いつでも手に届く場所にあったほうがいい。

 

自分の経験と重ねながら読むと、この本は大いに力を発揮します。そう思える一冊です。

 

おっと時間の30分!それではまた明日。