空飛ぶかめ

小学校での実践について、あれこれ記録します。

出過ぎた杭になる。

自分に足りないもの。それは圧倒的な結果。

 

かなせんの授業は楽しく学べる!成績が伸びた!というフィードバックは授業アンケートからも明らかで、子どもたちの9割~10割弱が『学び合い』の授業に満足している。単元テストの平均点は80点~83点を推移。悪くはない。でもこれで満足してはいけない。あともうひと超え。平均点90点はコンスタントに超えるようになっていってほしい。同僚が「えっ!?どないしたらそんなに成績伸びるの!?」と授業のいろはを聞きたくなるようなレベルまで。でなければ、新たな提案はもの珍しさで終わってしまう。

 

昨年で、平均点90点以上の段階は3学期になって訪れた。ちょうど『学び合い』を初めて4か月がたったころ。協同の文化が根付き、援助希求が安心してできる雰囲気はあったものの、なぜかテストの点数は伸び悩んでいた。理由は単純で授業とテストの内容が一致していなかったり、助け合えていればそれでいいと「ほんとうの分かる」にこだわる姿勢を貫けていなかったからだ。テクニックの面と、教師が単元テストの結果を本気で求めきることが大切であると学んだ。

 

馴れ合いの『学び合い』では結果は出ない。そのことは去年の経験からもわかっている。今年と去年の違いは、これまで以上に上位層が自分に必要な学びを進めることを奨励している点にある。課題を解決した子たちは、「研究」というテーマで参考書づくりや説明書づくり、問題づくりに励む。「全員達成」の言葉で、教えてにまわることを強制せず、「教える」or「自分の学びを進める」かは子どもたちの選択肢に委ねている。ただ、全体の共通理解として「聞かれたらいつでも答えられるように、「心の窓」は開けておこう。いつでも聞いてええでってみんなが思えるクラスってええやん」という心構えを持つように声をかけている。協同学習では、自分の学習を大切にすることと同等に、友だちの学びや希求に応えることが、学習者1人1人の責任である。ここが抜け落ちると、学習は単なる自己責任で終わってしまう。そこに協同の文化はない。

 

話がそれたので戻す。課題もある。上位層の子どもたち(研究に進む子たち)は、学び方や創作物に工夫がたくさん見られるようになった一方、テストに向けた準備が少し緩くなってしまった。結果、100点を取れるような子たちも85点~90点という点数を取る子たちが増えてしまったのである。

 

上位層の突き抜ける学びと集団としての学力(テストの結果)の保証。どの層も必要な学びにアクセスできる学びの場。ここにこだわらず、中途半端な結果で満足していては、「賢い子たちが比較的多いから、助け合ったり、発展的な課題に取り組むことがそれなりにできるんでしょ!?結果が出ないのなら、教え込む一斉授業の方がまし」と思う人もいるだろう。担外という立場でどこまで可能か。私は塾的指導ではなく、学び方のエッセンスを取り入れて勝負したい。一方、去年と同等のレベルまで集団を育てきることができれば・・・と去年の実践と比較してしまう自分もいる。子ども集団の力で点数が跳ね上がる事実も知っているから。

 

現状を変えるカギとなるのは『学び合い』で培ってきた「分からないことは聞く」「困っている人がいたらサポートする」の対人スキルだけではなく、「学び方」と更なる環境整備。ここに焦点を当てないといけないだろう。

 

ここからが勝負。出過ぎた杭じゃないと変化なんて起きやしないんだから。結果にこだわろう。