空飛ぶかめ

小学校での実践について、あれこれ記録します。

夏休み中のblogは不定期更新とします。(内容更新中)

夏休みのTODO

〇『学び合い』関連

□『学び合い』の会の準備

□ 2学期の課題づくり

□ 責任の移行モデルと『学び合い』

 

〇読書

□WW・RWの再読

読書家の時間: 自立した読み手を育てる教え方・学び方【実践編】 (シリーズ・ワークショップで学ぶ)

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増補版 作家の時間: 「書く」ことが好きになる教え方・学び方【実践編】 (シリーズ・ワークショップで学ぶ)

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成功する子 失敗する子――何が「その後の人生」を決めるのか

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一斉授業が楽しかった!のは自分だけ…?

 今日の校内研修は説明文と物語文の指導法。流れは一斉授業形式。講師の先生は模擬授業をしながら、発問の意図や工夫について解説してくださった。学習者の立場としてとても楽しく、この先生の授業なら受けてみたいと思える内容だった。 

 一斉授業は、その場に応じて、展開を変化させることができる。講師の先生の発問が、何度も何度も文章に目を向けるきっかけとなったし、与えられた問いではあるものの、こんな短時間で文章に何度も目を通すのも初めてで、目を通すたびに発見があった。仕掛けのように用意された発問は、僕を揺さぶり、そこにはついつい考えたくなってしまう自分がいた。



「一斉授業も悪くない。教師のファシリテート次第で、こんなにも探求的な視点で考えることができるんだ!」


きれいな一斉授業にワクワクし、『学び合い』ではこんな授業はできないよなぁ、やっぱり教師が主導で授業をすることでここまで深まるんだよな…



いや、ちょっと待てよ。



他の同僚全員が、僕と全く同じ感覚を持っていたのだろうか。自分のように楽しく学べる子達が教室にどれだけいるのだろうか。繰り返される発問にどれだけの子達がついてこれるのだろうか。実際、僕はいくつかの発問に対して、十分に考えるには時間が足りない場面があった。時間配分は教師に握られている分、根拠を探しきる前に発表の時間になることもあって、納得いくまで考えることができなかったこともあった。全員がぼくのように授業を楽しめる訳ではないんだよな…。とすぐ我に返ってしまったのである。



上に書いたことだけじゃないんだろうけど、多分一斉授業の難しさってここにあるんだと思う。一人ひとりの学ぶペースも違えば、適した課題のレベルも違う。「みんな」にとって、適した課題を一斉に提供するなんて私には無理。今日憧れた講師の授業でさえも、取り残されてしまう子はいるんだろう。全国で稀に見る一斉授業の名人のクラスでは、全員を時間内に同じゴールにたどり着かせられるのかな?あるなら一度そんな授業を見てみたいなぁ。


私が今まで担任してきたクラスで、もし研修のような深める発問をすると、ちんぷんかんぷんになっちゃう子達が出てくることは容易に想像できる。『学び合い』でもあそこまでの課題レベルは設定できない。まずは学習指導要領で求められるレベルを最低限担保すること。しかも全員に。簡単ではない。学習課題を選べる授業なら可能か?自分たちで考えたい教師の発問を選択するイメージ。ゆるやかな協同と個別化の授業なら、難易度の高い課題を選んだり、優しめの課題を選んだりすることもできるから。自分に適したものを選ぶってのもこれまた簡単ではない。


「昨日の課題(発問)が分からなかったら、今日もう一回考えてみようと思うねん。やから後で俺の考え聞いてくれる?」「ええよ。でも俺はまだあやふやところあるから、それなら〇〇さんに聞いた方がスッキリするかもよ」


僕はこんな会話ができるクラスにしたいんだな。1学期の算数でも3クラス中2クラスでそんな場面を少し作れたと思う。



はい、今日はここまで。

非効率的な日々が当たり前になるほどに…

 子育ては予測不可能。非効率的な日々が当たり前になります。自分の予定も白紙になることは日常茶飯事。独身のとき、子どもが生まれる前にできていたことができなくなり、「これはもう捨てなきゃいけないな」と割り切らないといけないことも多々でてきました。父親という役割が増えたのですから当然のことです。妻なんて「一人きりの時間」はほぼありませんから。

 だからこそ、しなやかな父性が必要です。大きく言えば、今後の生き方に「しなやかさ」がますます求められてくると感じています。これは職場にも影響してくること。自分の生き方を変化させていかなければ。




『学び合い』の会のお知らせ

先日立ち上げた大阪『学び合い』大地の会による第1回目の『学び合い』の会を開催します。初回の報告者は私です。テーマは「習熟度別算数の『学び合い』3クラスで比較する成果と課題」です。初の試みで、内心はドキドキしますが、参加者の方といろんな視点で思考をめぐらせる時間にできればと考えています。ぜひご参加ください。


大阪『学び合い』大地の会 https://kokucheese.com/event/index/530058/


学習者のニーズと学習者に必要なこと。「知る」と「する」の壁

 迷っています。今年度から校内研修の企画担当になったのですが、講師の方にどのような研修をお願いしようか。ある子が求めている教育とその子に必要な教育は異なる場合が多いものです。それは職員の世界も同じで。今後の学校運営について考えるのであれば、やはり後者なのかな。


 かの有名なファシリテーターを話し方研修で学校にお招きし、話型を用いた対話練習法を教えてくださったけれど、残念ながらに実践者は1人も増えず。昨年度は私1人でした。もちろんその方にとって取り入れやすいものであるか否か、「どうしたらいいのか分からなかった」という声も聞こえてきそう。アフターフォローが大切なのか。


「知る」から「する」までの間がとてつもなく大きく感じます。それぞれに価値があると感じる実践が違うのは当たり前。ただ、自分が価値を感じる実践と子どもたちに求められることが一致していればそれでいいんだけれど、そうでなければ一歩踏み出さないと。チャレンジしないと。という話をもしされたら、同僚はどんなことを考えるんだろう…。

授業終了〜感謝と授業アンケート〜

 2ヶ月の育休から復帰してあっという間の1ヶ月半でした。まだ休んでた期間の方が長いんですね笑 大分と体力も勘も戻ってきたような気がします。


 さて、今週で担当している算数の授業もひとまず終了。25名〜30名×3クラスを担当しました。普段の授業とはかけ離れた授業に戸惑いつつも、こちらの想定を上回る力や結果を出した子どもたちに「ありがとう。よくがんばったね。…もし良ければ、2学期にまた一緒に勉強しよう」と伝えたいと思います。あっ、これはなおたかさんの影響受けてます。ブログを読んで感謝の気持ちを伝えるっていいなぁと思って。


 あるクラスは、昨日で授業最終だったので、最後に授業アンケートを取りました。アンケートの全内容は割愛しますが、一部だけ紹介。『学び合い』とこれまでの授業(一斉授業)どちらが良いかという項目では、26名中全員が『学び合い』が良いと回答してくれました。正直アンケートを読むときはドキドキしましたけど…感想を読むと自分の願いが届いているコメントもあり嬉しかった。最後の備考欄には子どもたちの鋭い分析もありました。2学期に生かしていきます。

結局精神論ですか?

『学び合い』は方法でしか考えられない。という意見に答えるとすれば、それは「本気で1人も見捨てたくないと思えていないから。心の底から願えてないから。」になる気がします。


結局、教師の肝がどれだけ座っているか。それだけで、語りかける言葉も表情も伝わってくると思います。


精神論かい!と言われそうですが…その通り。精神面のあり方がとてつもなく大切な実践です。再現性は高いけれど、ある一定ラインを超えるかどうかはその先生の覚悟なのではないでしょうか。

共通課題の『学び合い』と個別課題の『学び合い』

現在、1学期の復習に入り、3クラス中2クラスがセレクトタイムによる『学び合い』(個々に課題を選び、計画を立て学習していく方法)、残り1クラスは全員が共通の課題での『学び合い』と、大きく2つの進め方に分かれています。


その2つの『学び合い』を見てて面白いなぁと感じていることがあります。それは共通課題の『学び合い』をしているクラスの方が必死なんです。今回はあえて「全員で」という言葉を多用しているのですが、その言葉に応えようとする2割が、じわじわと6割の子たちに影響を与え、巻き込んでいく様子が授業を重ねるごとに目に見えて分かるのです。「おっ?この子は最初は6割、いやむしろ下の2割に近かったけれど、今はトップランナーに近づいてきているな」と感じられる子が増えてきました。


一方、セレクトタイムの『学び合い』。こちらの2クラスは共通課題での『学び合い』でも成果を残し、1人も見捨てないという願いが、集団の文化になりつつあるクラスです。そこで、この1学期の復習をするタイミングで、個々が自分に必要な課題を自由に選択して進める『学び合い』にチャレンジしてみてみました。1時間単位で「全員が〜できる」というしばりがなくなった分、大分とゆるやかな時間が流れるようになったのです。すると、まぁなんということでしょう。共通課題の時の方が緊張感のある雰囲気で取り組めていたのに、今回は集団の雰囲気がゆるゆるになってしまう現象が起きてしまったのです。


「あれれ?雰囲気は悪くはないんだけど、前まではこの2クラスの方が真剣な雰囲気だったのになぁ〜…」と感じたんです。


いろいろと理由を考えました。課題設定の裁量が教師から子どもたちへと移ってしまったからなのか。個々に別々の課題を設定することで、目標達成のモチベーションは集団ではなく個々でコントロールしなくてはいけないからなのか。例えば、「単元を通して復習していこう。」という感じで個々が自由に進めるのと、「5時間以内で〇〇と〇〇と〇〇のテストで100点をとることができる。」と明確な目標を全員に伝えて進めるのではわけが違います。まだなんとなくでしか分析できてませんが、集団の雰囲気に違いが出たことに面白さと探究心が湧いたのでした。今日はここまで。

セレクトタイムと課題本の『学び合い』



現在第1期として参加しています。

https://www.wlbc-kansai.com/education/%E6%8E%88%E6%A5%AD%E3%83%97%E3%83%A9%E3%83%B3/?mobile=1


昨年の3学期末、子どもたちが自身で計画的な学習をデザインできるようになるために、イエナプランのブロックアワーをイメージした自立学習タイムという時間を週に4時間導入しました。私は『学び合い』とイエナプランは親和性が高い部分があると思っています。もう一度イエナプランの実践を学びたいなぁと思っていた矢先、上記のお知らせがタイムラインに流れてきたのです。「チャーンス!」と感じて、即申し込み。第1回MTはズームで行い、発起人の川崎さんの実践「セレクトタイム」について学びました。


算数科は今週から1学期の復習。時数は5時間。取り組むにはちょうどいいかなと考えて、早速チャレンジ。子どもたちは異なる課題を進めていましたが、必要に応じて援助希求ができていました。やはり、これまでの『学び合い』で「分からないことがあったら聞こうね。困っている人が声をかけようね」という文化を育んでいたことがスムーズな導入につながったと感じています。しばらく様子を見て、成果と課題を整理していきます。


一方、3クラス中1クラスは課題本を使った『学び合い』でした。

小学校算数『学び合い』を成功させる課題プリント集6年生

小学校算数『学び合い』を成功させる課題プリント集6年生

内容は対称な図形。

今日も、これまでとは違う子どもの姿をめっちゃ褒めました。あー、もったいない。損だよ。ってことも伝えました。全員達成はできませんでしたが、そこに至るまでのプロセスは確実に良くなっています。自分にも友達にも100%の思いをかける姿や時間をかける姿のありがたさ、思いやりのある行動とは何か。そんなことを最後に話し合って終わりました。



 

その授業は誰のためにやってるの?

 今から8年前。教育実習生として入らせて頂いたクラスは、「学びの共同体」の実践をするクラスでした。机はコの字型。挙手と自由起立を組み合わせた発言を教師がファシリテートし、その場の流れで課題や問いが生まれる授業でした。主体的な子どもたちの姿や躍動感のある授業に感動する一方で、果たして自分はこんな授業をつくれる教師になれるのだろうか。と教師になること自体に不安を感じていました。特に、実習中の担当教官との会話は今でも心に残っています。


「君も学びの共同体にチャレンジしたくなったかい?」


「そうですね、あんな授業ができは教師になりたいと思いました。でもまずは普通の一斉授業をする教師になりたいです。」


「普通って何?」


「えっ、学びの共同体のような子どもの意見から作る授業ではなく、指導案の計画通りに…」


「そっかぁ。じゃあね、その普通の授業をするのは誰のためなん?」


「えっ…?誰のため?いや、いきなり学びの共同体なんて自信がないし…まずは指導書通りに」


「…自分が安心するためでしょ?まぁ、でも先生の不安に子どもたちは気づくからねぇ。自分が安心して実践できる方法が一番ではある。ただ、徐々に授業の軸足が自分から子どもたちに移るといいね。」


そこからです。指導書を一切見せてもらえず、学習指導要領と児童書だけを使った授業準備が始まったのは。まず授業のゴールイメージから、発問を考える。全くのゼロから授業を考える日々は正直に言うとかなりきつかったのですが、今は濃い時間を過ごさせてもらったんだと感謝できます。


授業の軸足はどこにあるのか。子どものためと言いながら、自分のためになっちゃいないだろうか。このとき教官にかけてもらった言葉が、また最近になってじわじわと身にしみるのです。