空飛ぶかめ

小学校での実践について、あれこれ記録します。

『学び合い』の語りを探る②

このツイートに対して、西川先生がコメントをくださいました。

 

心のあり方とテクニックは両輪です。ただ、テクニックを支えるのは心のあり方。何度もここを見つめ直す自己点検の習慣は必要でしょう。

 

今回は西川先生の言葉がすっと腹落ちしました。何の違和感もなく、「そうですよね」と。不思議です。数年前に同じ内容の言葉を見て苦しんだ時期があって、そのときは見取りや声かけのテクニックを読んで、いろんな角度から『学び合い』を見つめ直していたんですよね。

 

西川先生は剣道になぞらえて、こう仰っていました。「剣の道は「心」なんていわれても分からない。まずは素振り。身体化されたとき、読み取れなかった言葉の意味が分かります。」と。

 

技術や理論が自分の心に内包されたとき身体化が起こる。それには膨大な時間が必要。だから試行錯誤しないと分からないわけだ。いたってシンプル。僕は心のあり方を見つめ直すためにたびに、『学び合い』に苦しみ、いろんな本を手にとった。そこで学んだことは誰かの役に立つかもしれないから発信していくつもりです。

 

さて、

 

自分の心はどこを向いているか?

 

求めている先端にあるものは何か?

 

子どもたちに仲間を与えたいのか。

 

テストの点数を上げることなのか。

 

スタートはいつもここでいたいですね。

 

『学び合い』の語りを探る

『学び合い』実践者の中には「全員達成まであとちょっとやったなぁ〜。明日は期待している。君たちなら大丈夫や!がんばろな!」という精神論的な語り「だけ」をくりかえして、集団が育たないパターンに陥る方がいる。教師がポジティブであればあるほど、その自体に陥りやすいのではないだろうか。かくいう私もそんな時期があった。

 

例えば、授業を見学してくれた管理職や同僚から「もうちょっとで、その教材の核心に迫る授業ができたと思う。でも君なら大丈夫。その気持ちさえあれば、きっと明日からも良い授業ができるよ。がんばってな」と言われるようなもの。

 

「え?で、どうしたら核心にせまれるの?」って言いたくなる。

 

とある運動会の練習風景。

「なんかなぁ、君達の気持ちが足りひんと思うねん。そんなんで周りの人、感動すると思うか?明日からもっと良くしていこうな。挨拶したらちゃんと水分はとりや!熱中症なるからな。では終わりましょう」

 

アドバイス、水分補給だけやん!って突っ込みたくなる。

 

この2つは極端な例だが…。

 

では、ポジティブなだけの語りを抜け出すために必要なことは何か。

 

それは以下の3つである。


①適切なアセスメント

②その場に応じたフィードバック

③リフレクション

 

教師の働きかけで子どもたちのメタ認知を機能させられるか。ここが抜け落ちてると、簡単に精神論的語りになるのではないだろうか。


この状態を「語りが弱い」や「語りが足りない」と表現する方もいるのでしょう。

 

語りって教師のあり方次第だ!ってよく言うのだけど、そのあり方が「どんなときも前向きに!」だけだと、結局説得力のないポジティブメッセージになるんじゃないかなと思うようになってきた。まぁ、私もまだまだなのですが。

 

今後も探っていきます。

 

教科書のワークシート集って便利!

教科書は東京書籍。ワークシート集に発展問題編というページがあります。

 

そこにこんな課題が!

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資料がすでに提示されているので、めあては統計的な見方による分析でしょうか。記録のみから資料を作成し、選手を選ぶという流れも悪くないですが、これはかなりハードル高め。課題レベルを設定して、やりたい子にはやってもらおうかなぁと思います。

 

ゼロからつくると大変なので、学校にあるリソースを有効活用して授業の質を上げていく。教科書会社のワークシートって結構使えるんですよね。 

 

 

自由な学びが欲しい

算数の単元も残すところ、「資料の調べた方」と「量の単位のしくみ」のみとなりました。それ以降は通年これまでに習った復習期間。30日ほどの日数です。これを教科書を順通り、全て復習に捧げるのはあまりにも単調すぎてもったいない。

 

「教科書にとらわれず、算数の見方考え方が身につく授業なら何でもよいよ。任せる」っていってくれたら超ワクワクするのに。

 

 

各自がテーマを決めてやるのも面白そう。いくつか候補は示して、それに対する計画を個々で立て学習を進める。領域は特定して、学び方をミックスする前提のプログラムもおもしろい。レポートを書きまくるチームや解き方をプレゼンするチームに分かれる。国語でいうと「書く」「話す」に特化したり、組み合わせたり。マルチプルインテリジェンスを知って、自分に合った学び方をデザインする。四則計算の基本が抜け落ちている場合はその練習に徹する。そこに「書く」「話す」の要素を入れて、学習課題をレベルアップすることは可能だしね〜。

ゆるい授業はやめよう

単元自由進度の段階に進んだとき。

協同的な学びの文化が広がってきたとき。

 

雰囲気が緩くなることがあります。

別の言葉を借りれば、和気あいあいでしょうか、だらっとした雰囲気でしょうか。

 

試行錯誤を楽しむ学びから生まれる会話と馴れ合いの学びから生まれる会話は全く別物です。

 

そんなときはどうするか。

 

「ゆるい授業になってるよ。必要とき以外は話さない。私語は一切禁止です。時と場合で使い分けてくださいね。はい、どうぞ」

 

ときっぱり言います。

 

教師がこの程度ぐらいいうかと思うと、子どもたちもその程度でいいかと判断します。

 

初期段階の1時間ごとの『学び合い』に比べると単元自由進度では子どもたちの会話は最小限となる。うまくいっていないときはゆるく、雑談が多くなる。そんな感覚です。

 

国語×協同学習の研究日記①「スタート!」

私の最大の弱点は国語!(副教科は・・・棚において)

 

『学び合い』の実践でも国語はあまりイメージがわかず、その場だけを取り繕った協同的な学習や角っこをかじったようなRW・WWしかしてきませんでした。さすがにこのままの力で教師を続けていくのはあまりにもお粗末というレベル。子どもたちにも国語の力はつきません。ですから、「国語×協同学習」というテーマで、国語の学び直しを決意しました。

 

本blogは『学び合い』の実践を発信することが目的ですが、それと同時並行で国語の学び直しについても記事をあげていきます。ほんのささいなことでも自分が勉強した事実は記していくつもりです。お暇があれば読んでください。

 

では、早速。今日の朝活(4時30分~5時15分)

学習指導要領の第二章。「国語科の目標及び内容」を精読しました。これまで物語文・説明文を「どう教えるか」という方法レベルは日々の授業や研究授業の折に考えてきました。私に抜けているのは、「なぜ国語を学ぶのか」です。生きる力の育成のために、国語科にどのような目標があるのかをまず把握する必要があります。

 

教科の目標は以下の通り

 

第1節 国語科の目標

言葉による見方・考え方を働かせ、言語活動を通して、国語で正確に理解し適切に表現する資質・能力を次のとおりに育成することを目指す。

(1)日常生活に必要な国語について、その特質を理解し適切に使うことができるようにする。

(2)日常生活における人との関わりの中で伝え合う力を高め、思考力や想像力を養う。

(3)言葉がもつよさを認識するとともに、言語感覚を養い、国語の大切さを自覚し、国語を尊重してその能力の向上を図る態度を養う。

*1

 

目標を読むだけでも、頭の中に問いが生まれます。無知なだけですが・・・

日常生活に必要な国語って(そもそもどんなこと?)

人との関わりの中で伝え合う力(どんな場面、どのように?)

言葉がもつよさ(教師が教えるだけでは豊かにならないよね)

 

今日はここまで。まとめる時間がなーい。

息子を起こしてきます!

 

※以下、学び直しのために購入した本。この3冊以外にもありますが、通勤時間に何度も読んでいます。

 

白石範孝の国語授業の教科書

白石範孝の国語授業の教科書

 

 

ゼロから学べる小学校国語科授業づくり

ゼロから学べる小学校国語科授業づくり

 

 

 



 

*1:小学校学習指導要領(平成29年告示)解説 国語編

他者の思考に乗っかってるだけ

先生とはどのような人なのでしょう?

 

twitterでそのような呟きを見て、思い出したことがあります。

 

学生のときに、「先生とは?」テーマを自問自答したときがあります。きっかけは、先生(教師)としてのあり方に迷いを持ち、思考錯誤している方のお話を聞いたり、その方の著書を読んだり…

簡単に言うと他者の思考錯誤に乗っかっていただけでした。

 

「教師は子どもたちをコントロールしようとする。支配欲が強い」

「教師はファシリテータであるべきだ」

「子どもたちに任せるべきだ」

「教師が教えてばかりでは子どもたちは受け身になる」

「先生という肩書きを捨てたい。1人の人としてどうあるかが大切だ」

 

もちろん、それ自体に悪いことはありません。日々いろんなものに影響を受けながら、人は学び変わっていくものですから。

 

ただ、私自身経験あるんですよ。教師としての人生も始まったばかりなのに、だれかの言葉を借りて「誰かのあり方」を信じてしまうことが。で、一丁前に言うわけです。「教育は、先生とはこうあるべきだ。」って。さらには、「僕、先生って呼ばれるのに違和感があって、〇〇ちゃんとか〇〇っちでいいんす!1人の人としてありたいというか」とか。

 

そんな言葉を聞くとつい思ってしまいます。「それ、ほんまにそう思ってんの?あなた自身の言葉なの?」と。

 

数十年の研究や実践の末に手に入れた納得解と「あのすごい先生がいってるんだ!俺もそう思ってたんだ。やっぱりそうあるべきだよな」って手に入れた解は全く異なるもの。(これは解にもなってないか) そこにその人なりのエピソードがあって、それがその解と重なるならいいけど。

 

巨人の肩に乗って、遠くを見つめることって大切。間違いなく。でも、目の前の景色は、巨人の肩を降りた後に見えるものでしょう。

 

だれかの言葉を借りて「〇〇だ」と信じてしまうのは怖い。それに無自覚であると嫌だなぁって改めて自分に言い聞かせてます。

 

 

任せることで起きること

子どもたちに任せると実にいろんなことが起きます。教えてもらえて嬉しかったり、教えてるのに真剣に聞いてくれず、すぐ諦める仲間にいらだったり、声をかけたのに「ほっとけよ」と言われて関わり方に迷ったり、何度も何度も学び合って分かりあえたり…。人生の悩みの大半は人間関係と言われるように、人と人とが関わり合う社会は山あり谷ありの連続です。

 

そんな山あり谷ありの人生でも、トータルで人とのつながりが得だと感じてほしい。「いろいろあるけどさぁ、人とのつながりって大事やな」と思える人になってほしいのです。

 

そのためには仲間が必要であり、それを得るための協同経験が欠かせない。関わりあうことに価値を見出すことができる瞬間の積み重ねが、互いのために関わり合うことが得だと信じられる仲間をつくる。1日の半分以上を過ごす学校で、多様な人と折り合いをつけながら、ときには近づき、ときには距離を置き、ときに励ましあい、ときにぶつかる。そんな経験をたくさん積める子ども時代にしてあげたい。もちろん、願いだけではダメですが。

 

任せることで起きることを恐れてはいけません。子ども時代の多様な経験が、大人になったときの人生を支えていくのですから。教師がその機会を奪ってはいけないですよね。教師主導で積む体験と子どもたち主導で積む体験は、きっと経験値に大きな差があると思うのです。

『学び合い』を成立させるために1番大切なこと

『学び合い』を成立させるために1番大切なこと。

 

それは1人も見捨てないの価値を語り続けること。特に初期は全員達成を本気で求め続けることです。

 

『学び合い』を始めた頃は、子どもたちに「1人も見捨てない」「全員達成」を伝え、求め続けることができませでした。気がつけば全員達成の必要性を語らず、「みんな能力が違うし、1時間で全員ができるなんてありえない。ほどほどでいいんだ。」と言い聞かせている自分がいました。すると、子どもたちは私の心を映すかのように、自分の課題が終わった後も練習プリントで自分の学習を進め、学習に遅れている子たちは私が教室をぐるぐる回ってサポートする状況になりました。子どもたちは何も悪くありません。考えてみれば当然です。

 

教師が本気で求めなければ、子どもたちも本気で応えるはずがないのです。

 

何度も何度も語り、全員達成のために動く子どもたちの姿に感謝し、その価値を伝え続ける。とても地道で長い道のりですが、願いをかけた分だけ、子どもたちは変わっていきます。 2割の子たちがその願いに共感し、その姿が徐々に中間層に影響を与えていきます。クラスの8割の子たちが全員達成に向けて動き出すまで粘り強く子どもたちの変化を待つのです。すると、1人では学習に進めない子どもたちも、仲間の支えで徐々に自立した学習者へと変わっていけるのです。

 

求め続けるためには覚悟が必要です。準備も必要です。同僚の信頼も必要です。それを支えるのは、やはり、教師が本気で1人も見捨てない事は得だと信じる、そんな社会を実現させたいと強く願う心でしょう。

 

結局精神論かい!と言われそうですが、これについては譲れないのです。その気持ちが弱くなったとき、『学び合い』はいとも簡単に崩れてしまうでしょう。

授業のこと『算数・資料の調べ方』

資料の調べ方の現在地

導入は盛山先生の実践を追試し、平均とちらばりについて学習。その後は単元のゴールに向けて、教科書を使った学習が始まりました。3クラス中2クラスが単元自由進度の『学び合い』です。昨日、私が冒頭に話ししたのは「課題の説明と予定確認、以上以下未満の意味覚えている〜?割合の求め方は〜?」だけです。あとは課題解決の35分間を個々のカンファランスと適時班ごとにミニレクチャーを行なっています。教える時間はトータル10分ほどです。板書は導入以降ほぼ書いていません。

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それでも子どもたちは学習をワシワシ進めています。アウトプット課題の「提案文」は、国語で一度学習した「資料を活用して説明しよう」の書き出し文を取り入れています。以下はルーブリック評価。

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どうなるか楽しみです。