『学び合い』の語りを探る②
『学び合い』実践者の中には「全員達成まであとちょっとやったなぁ〜。明日は期待している。君たちなら大丈夫や!がんばろな!」という精神論的な語り「だけ」をくりかえして、集団が育たないパターンは多いにあると思う。先生がポジティブであればあるほど。
— 要 景太@かなせん (@keita9666) 2019年1月22日
このツイートに対して、西川先生がコメントをくださいました。
教師がテストの点数を上げたいと願って『学び合い』をするか、子どもたちの一生涯を保障する仲間を与えたいと願って『学び合い』をするかで違いますね。その願いは、クラスをリードする子どもに伝わります。前者だと、人間関係のことはさておいて、点数を上げることを同級生に求めます。
— 西川純 (@jun24kawa) 2019年1月23日
心のあり方とテクニックは両輪です。ただ、テクニックを支えるのは心のあり方。何度もここを見つめ直す自己点検の習慣は必要でしょう。
今回は西川先生の言葉がすっと腹落ちしました。何の違和感もなく、「そうですよね」と。不思議です。数年前に同じ内容の言葉を見て苦しんだ時期があって、そのときは見取りや声かけのテクニックを読んで、いろんな角度から『学び合い』を見つめ直していたんですよね。
西川先生は剣道になぞらえて、こう仰っていました。「剣の道は「心」なんていわれても分からない。まずは素振り。身体化されたとき、読み取れなかった言葉の意味が分かります。」と。
技術や理論が自分の心に内包されたとき身体化が起こる。それには膨大な時間が必要。だから試行錯誤しないと分からないわけだ。いたってシンプル。僕は心のあり方を見つめ直すためにたびに、『学び合い』に苦しみ、いろんな本を手にとった。そこで学んだことは誰かの役に立つかもしれないから発信していくつもりです。
さて、
自分の心はどこを向いているか?
求めている先端にあるものは何か?
子どもたちに仲間を与えたいのか。
テストの点数を上げることなのか。
スタートはいつもここでいたいですね。