任せると放任は違う
今日は教科ではなく、文化祭の準備をプロジェクトアドベンチャーや『学び合い』の型にはめて進めた。出店の中身は、劇と障害物リレー(サスケ)だ。
「君たちの祭りだから。先生はできるだけ声をかけないようにするよ。先生色にそまったお祭りになるのは嫌やろ?自分たちもみんなも楽しい祭りにするために、自分たちで考えて進めていくんやで」
練習はうまくいくところと、そうではないチームに分かれた。
真剣にやる子。
意見の対立。
自分のことやりつつ、他人の世話をする子。
チームごとの比較をしちゃう子。
おふざけムードに突っ走る子。
予想していた通り、起きそうなことが起きた。
じゃぁ、子どもたちの責任か?と言われるとそうではない。今回の時間は、PAでもなく『学び合い』でもなく、ただの放任だった。
任せるってのは、任せた方にも責任が生じる。僕はその責任を取る覚悟を持てていなかったんだ。
何でもかんでも、
自分たちで解決していこう。
思いはステキだ。
でも「あとは任せるよ。ハイどうぞ」という任せる宣言ってのは、簡単に出せるけど、簡単に考えてはいけない。
・時間が限られている中で、「任せて、失敗して、振り返って、次につなげる」という振り返りのサイクルは回せるのか?
・やり直すチャンスはある?
・時間軸で考えたときに、優先させるべきは振り返りサイクルによる成長?それとも成果?だとしたら教員の介入は必要?
中には、本番までの練習の少なさに焦り、涙する子もいた。
前回のエントリーでは「責任は君たちにある」と書いた。
でも、今回は見極め甘かったんじゃないか?
任せるための条件って、やり直すチャンスがあるってことなんじゃないのか?
真剣に考えろ、俺。