『学び合い』を再開したきっかけ(後編)
「一斉授業ができないと『学び合い』はできない。もしくはやらないほうがいい。学級が崩れてしまうから」
このような言葉を言われたり、教育書の中でも何度も目にしていました。その影響もあって、一斉授業のスキルがまだまだな私には『学び合い』はできない、まだ早いのではないか。という迷いが生じていたのです。
迷っている最中書いたブログがこちら↓
この本を読み終えた後は、真のアクティブラーニングを実現するためには、教師がスキルを磨き、構成的な環境を子どもたちに提供するべきであり、そのためには一斉授業のスキルは必要不可欠なのである。という考え方で落ち着きそうでした。
『学び合い』ではない。やはりスキルが必要なんだと。
そんなとき、『学び合い』を広げようと民間教育の立場から尽力されているSさんからこんなメッセージを頂きました。
「一斉授業のスキルは、本当に『学び合い』ができるのであれば要らない。これから10年くらいは「あった方がそりゃまあいい」という状態ではあるかもしれないけど。でもそれはスキルではなくて、一斉授業でも『学び合い』でもどちらにせよ武器になる教師としてのBeingだと思う。堀先生もスキルが分かりやすいけど、あの人も子どもを学びに向かわせる「在り方」が強烈。スキルで勝負する2流じゃなくて在り方で勝負する1流を目指してほしい」
このSさんは、時折、自分の実践や考えについて言及してくれる、私にとってのメンター的存在の人です。軸がぶれぶれな私を見かねてか、食事に誘ってくれたのです。そこには中学校で数学教師として『学び合い』を実践されているF先生も同席されるとのことでした。Find Active Learningでも実践の様子が動画でアップされているあの方です。私は自分の迷いがふっきれるかもしれないと期待を抱き、飲み会の日を迎えました。
そして『学び合い』を実践されているF先生の教師としての「在り方」が、私の教師人生を大きく変えることになったのです。
私は全く分かっていませんでした。
『学び合い』は考え方であるということの意味を。
その考え方には教育者としての覚悟がいることを。
最終話に続く。