kanasenの『七転び八起き』

大阪の小学校教員かなせんです。「幸せに生きる」その力を育む場づくりを探求します。ともに歩み・ともに学び・ともに創る。モットーは「やりたいこと」に正直に

『学び合い』を再開したきっかけ(後編)

「一斉授業ができないと『学び合い』はできない。もしくはやらないほうがいい。学級が崩れてしまうから」

 

このような言葉を言われたり、教育書の中でも何度も目にしていました。その影響もあって、一斉授業のスキルがまだまだな私には『学び合い』はできない、まだ早いのではないか。という迷いが生じていたのです。

 

迷っている最中書いたブログがこちら↓

 

metch96.hatenablog.com

 

この本を読み終えた後は、真のアクティブラーニングを実現するためには、教師がスキルを磨き、構成的な環境を子どもたちに提供するべきであり、そのためには一斉授業のスキルは必要不可欠なのである。という考え方で落ち着きそうでした。

『学び合い』ではない。やはりスキルが必要なんだと。

 

そんなとき、『学び合い』を広げようと民間教育の立場から尽力されているSさんからこんなメッセージを頂きました。

「一斉授業のスキルは、本当に『学び合い』ができるのであれば要らない。これから10年くらいは「あった方がそりゃまあいい」という状態ではあるかもしれないけど。でもそれはスキルではなくて、一斉授業でも『学び合い』でもどちらにせよ武器になる教師としてのBeingだと思う。堀先生もスキルが分かりやすいけど、あの人も子どもを学びに向かわせる「在り方」が強烈。スキルで勝負する2流じゃなくて在り方で勝負する1流を目指してほしい」

 

このSさんは、時折、自分の実践や考えについて言及してくれる、私にとってのメンター的存在の人です。軸がぶれぶれな私を見かねてか、食事に誘ってくれたのです。そこには中学校で数学教師として『学び合い』を実践されているF先生も同席されるとのことでした。Find Active Learningでも実践の様子が動画でアップされているあの方です。私は自分の迷いがふっきれるかもしれないと期待を抱き、飲み会の日を迎えました。

 

そして『学び合い』を実践されているF先生の教師としての「在り方」が、私の教師人生を大きく変えることになったのです。

 

私は全く分かっていませんでした。

『学び合い』は考え方であるということの意味を。

その考え方には教育者としての覚悟がいることを。

 

最終話に続く。