空飛ぶかめ

小学校での実践について、あれこれ記録します。

ニュートラルで見渡す

 ある出来事がぼくの在り方に急ブレーキをかけた。そこで決めたん だ。一旦高速道路を降りて、しばらくニュートラルで周りを見渡そうと。 実は薄々気づいていた。ただ前を向きながら「あの坂道」を登っていたことに。振り返ってみると、 道中にあるきれいな花や季節の合図に気づけない自分がいた。鳥のさえずりも美しい景色も見落としていたんだ。

 

前を見ることは大切だ。

「振り向くな!前を向け!過去に未来はない!」

一度は聞いたことがあるよね?

 

どうやら、今の僕にその言葉は適さないみたい。「あの坂道」を登るのはやめて、自分の足跡をたどってみる。すると何か見つかるかもしれない。急に重荷がとれた。

 

とてもいい気分だ。

『学び合い』の語りを「一方的な語り」から「共感できる語り」に変えるために必要なこと

昨日、以下のエントリーを書きました。

metch96.hatenablog.com

 

今日も上記の内容の続きを書いていきます。

テーマは「『学び合い』の語りを「共感できる語り」に変えるために必要なこと」

結論から言うと、「『学び合い』は簡単じゃない。と心から思えていますか?」この問いを教師自身が持てているかどうかです。「一方通行の語り」が「共感できる語り」に変わっていくキーとなる問いだと思っています。

 

 

抽象的なアドバイスでは納得できない。

「「1人も見捨てないは得であること」この意味をあなたが実感していない、もしくは本気でそう思えてないから『学び合い』がうまくいかないのです」

「1人も見捨てないを本気で求める覚悟が足りないからだよ」

 

『学び合い』実践者でこんなアドバイスをもらった経験がある方はいないでしょうか。私はあります。その後「あぁ、僕の気持ちが足りないのか」と素直に反省し、どうすれば「1人も見捨てないは得」と本気で語れるのかを考えました。時間があるときはずーっと。一方で、そんなアドバイスをもらうと「え?俺は本気で『学び合い』やりたいと思っている。見捨てたらいけないんだ!って本気で伝えている。それの何が間違っているんだ!」と憤慨する方もいるんじゃないでしょうか?でも現場では「伝わらない」という事実がある。一体何が足りてないのでしょうか。今日はこの「足りなさ」に焦点をあてて考えていきます。

 

『学び合い』のセオリーと現実との差

 『学び合い』のセオリー(西川先生の考え)では、全員達成(1人も見捨てない)の願いは2:6:2の比率で、集団の2割にその価値が伝わっていきます。(学級崩壊の法則も同じように語られていますね)これは各学級の実態にもよりますが、経験上私も同じような感覚があります。その後、中間層の6割にも伝わり、教室の各所で学び合いが起こるようになるのです。「反発する」子たちばかりに目を向けるのではなく、教師の腹の中を理解できる2割に伝わるよう心がけることが大切です。しかし、現実はそう簡単ではありません。語っても伝わっていない現実があるのに、語り続けても仕方ない。教師の気力が持たないよ!と思われる方もいるでしょう。それでは本題の『学び合い』の願いが伝わらない場合に欠けているも足りなさに迫っていきましょう。

 

『学び合い』はぬるま湯ではない。

過去の自分は次のことに自覚的になれていなかったような気がします。

 「1人も見捨てない」は簡単ではない。けれども、そのことを踏まえてもなお、「1人も見捨てない」を大切にできる仲間でいられる方が幸せなんだ」

 

 このことに教師が納得できているかどうかが、1人も見捨てないを語り続ける上で大切なことだと思うのです。全員が「1人も見捨てない」という考え方に共感する社会。そんな社会が本当に実現すると思いますか?悔しいし、切ないけど、それは難しいことだと思います。でも、その価値を分かっている人が1人でも多い社会にしたい。そう願っています。だから語り続けるのですよね?「1人も見捨てない」という言葉で救われる子もいれば、傷つく子たちもいます。関わりをもとうと思っても上手くいかなくて悩んだり、迷ったりすることだってある。決して簡単なことではないのです。そのことに教師自身がどれだけ自覚的でいられるか。『学び合い』が生み出す「傷」に自覚的になれれば、「反発する」子たちさえも愛おしくなります。毅然とした態度が求められる場面でも、語り口調に笑みが生まれるようになります。「よし!明日期待してるで!」って前向きに子どもたちの変容を待つことができるようになるはずです。

 

『1人も見捨てない』を語るその前に・・・あなたは実生活で1人も見捨てないを実践されていますか?1人も見捨てないって実は難しいことではないでしょうか?子どもたちに求めるその前に、自分の胸に手を当てて考えてみましょう。私はその難しさを自覚した上で語ることが大切だと考えます。それが「共感できる語り」への第一歩です。

 

 

 

全員達成(1人も見捨てない)の願いに「反発する」子がいたとき

先日のtweetを見て

 とある『学び合い』実践者のtweet。最後の語りで「全員達成(自分も含めて)に向けて動かない子たちがいたのに、何も指摘しなかいのは見捨ててることにならないか?」と指摘したところ、「先生何もしてないやん。職務放棄だ」と言われたそうです。このtweetを見たとき、自分も同じような過ちをしたことを思い出しました。この言葉を発した生徒こそ、教師に認めてほしいと思っているんじゃないかと。

2年前の過ち

 1年目の『学び合い』の失敗を糧に挑んだ2年目の『学び合い』。この挑戦も上手くはいきませんでした。集団から取り残されていくクラスメイトがいるにも関わらず、それに気づかない子どもたち。その姿に苛立ち、「何で見捨てるんだ!1人も見捨てるなと言っているじゃないか!なぜ分からないんだ!」と上から押し付けるような語りをしました。結果はご想像の通り。子ども集団の力学が良くない方向に働き、クラスは落ち着かなくなってしまったのです。どうすればいいのか分からなくなりました。解決策を見つけることもできず、アンバーな感じで振る舞う毎日。転機はあるファシリテーターの方とお話をさせてもらったときに訪れました。以下、頂いたアドバイスです。

 

①子どもたちの心の体力を温めること。

②『学び合い』実践者になろうとすることをやめること。

③どんなクラスがよいかもう一度子どもたちと話し合うこと。

④仕切り直すために、自分が感情的になったことを謝ること。

 

「1人も見捨てない」を押し付ける『学び合い』ほど、質の悪いものはありません。でも、当時の私は気づけませんでした。相談した翌日に、感情的に『学び合い』を押し付けてしまったことを詫びました。教師が過ちをちゃんと認めること。私の言葉に子どもたちは安心した様子でした。

「反発する」子たちへの向き合い方

さて、本題の全員達成(1人も見捨てない)の願いに「反発する」子に対してどう向き合うか。この問いについて、「これが解決策です!」というものは提示できません。なおたかさんなら、古田さんなら、『学び合い』の先輩方ならどう答えるだろうか・・・おっと、先輩たちの知恵だのみになるところでした笑 自分なりの答えを整理しますね。

 

現時点で「私」が大切にするポイントを3つ書いておきます。

 

  1. なぜ『全員達成(1人も見捨てない)』を願うのか。それが得と言えるか。先生や子どもたちのエピソードで語る。対話する。それを続けること。
  2. 語る内容は3:1。子どもたちの良いところ3つ。気になるところは1つ。
  3. 「反発する」子たちへのアセスメントを怠らない。
ポイントは他にもありますが、まずはこの3つ。上手くいかなかった私に欠けていたものです。続きはまた後日。
 

 

 

 

 

 

下書きばかり

ブログを更新したい。しかし、下書きばかりがたまる。書きたい内容はたくさん思いついているのに、簡単に表に出したくないのか、加筆修正ばかりだ。本を読みふけり、頭に浮かんだ問いやひらめき、反論をメモする。その後、関連のある記事に追記する。その繰り返しだ。しばらく、こんな日々が続くだろう。

子どもたちの対話を覗く〜「1aは100㎡やろ?」

C1「俺、説明できるで!」

T「お!!先生にやってみてよ」

 

C1「まずなぁ、10m×20m=200㎡やろ。でもこのクラスメイトは答えを200aって言ってるやん。これはおかしいねん」

 

T「というと?」

 

C1「答えは2aやねん。どう?あってるやろ?」

C2「えっ、なんで2aなん?」

C1「えっ!?だって2aやん」

C2「ちゃうやん。それじゃ理由にならない」

C1「えー!どうやって理由って説明するん?」

C2「例えば、この面積の関係図を見てよ。1a=100㎡やろ。このクラスメイトは1㎡=1aと思ってるから、答えが200㎡になるんやん」

C1「あーあ!!わかったぞ。もう一回聞いて」

C2「うんいいよ」

C1「なぜなら、1a=100㎡だから、200㎡は1aの2つぶん。答えは2a!!」

C2「合格~!!!」

 

最後の5分。C1の子が仲間と学んでいる。

それが何より嬉しい。

 

 

 

僕のやり方は、誠実なようで誠実じゃなかった。

 Twitterで「ブログの製本をお譲りします。」という趣旨のツイートをした。本音を言うとDMは「そこまで」こないと思っていた。(この考えがそもそも良くなかった)しかし、蓋を開けてみると20名以上の方からメッセージが届いていた。有難かったけど申し訳なかった。

 

僕の実践記録を読みたいと仰ってくださる方がいること、それ自体は嬉しいこと。だが、、、「抽選でお譲りする」という企画がいやらしい方法に感じてしまった。僕が1人を選ぶ。選ばれた方以外は希望するだけで終わる。なんか誠実じゃない。深く考え過ぎか。いやそんなことない。しるし書店も同じかもしれない。

 

もっとフラットに自分がやってきたことを共有することはできないか。そう考えたときに、やはりKindle本での出版が1番スマートだと感じた。理由はシンプルで、無料でどなたでも手にすることができるからだ。

 

改めてご希望された方にはメッセージを送らせて頂く。現在進めている出版企画とは別で、このブログ製本の内容を皆さんにお届けする方法を考えている。手立てはKindle出版か製本重版しかないのだが。

 

SNSを眺める時間をなくして、スピード感上げていこう。時間がなさすぎる。

 

あぁ、情けなかった。

ほんとうに浅はかだった。

分からなくなってしまった

私には憧れの先生がいる。

 

ここ最近感じるようになったのだが、その方のブログに書かれている内容が分からなくなってしまった。

 

何度読み返しても分からない。

いや、読みきる前に諦めてしまうのだ。

 

きっと大分と離れた場所にいらっしゃる。同じ視座で物事を眺めるには…それ相応の学びと経験値が必要なのだろう。

始動!Kindle本出版に向けて

 樋口万太郎さんからのお誘いで、『学び合い』をテーマにKindle本出版に挑戦することになりました。(田中光夫さんのエールもとても勇気づけられたました。ありがとうございます。)

 

個人的に『学び合い』×算数の課題について書く予定でいましたが、これを機に一気に進めます。これから『学び合い』にチャレンジしようとされる方を勇気づけられる一冊にしたい。全くの無名ですが、泥臭く現場主義を貫いた『学び合い』を書かせて頂きます。

 

期待してください!

『学び合い』の語りを探る③

『学び合い』の語りは「1人も見捨てないを実践できたか」を確認する時間。実践者によって例え方はそれぞれでしょうが、本筋はずれてはいけません。やはり「1人も見捨てず、全員達成を目指せたか」に尽きます。特に1時間で全員達成を目指す『学び合い』のときは特に。

 

その語りがよくわかんなくて、いや『学び合い』自体よく分かんなくなって、いろんな本読みあさって『学び合い』を科学するんだ!(違う角度から見つめる)とか息巻いていたときがあって。そのときに出会った本があります。

 

 

『学び合い』という言葉は一切使われてなかったんだけど、読み進める度に「書かれていること『学び合い』じゃん!」ってなったのよ。その中でこれ大事やなぁ〜って思ったこと。以下引用。

 

第4章 学力基礎を育てる日常指導より

最後に、教育的成果をあげるための教師の姿に言及しておきたいと思います。教育実践は、とかく教師が「どのようにやったか」で議論されがちです。しかし、「どのような」教師がそれをやるのかをきちんと見据えないと成功の確率は高まりません。何をするにしても教師が発言することが、「何を言ったか」や「どのようにやったか」と同時に、「どのような」教師がそれを言い、やっているのかを子どもたちは吟味しているからです。

・・・・(中略)

教育的性かは、「教師が何をやったか」で測られることはほとんどありません。それは、「子どもたちがどうなったか」つまり、子どもたちの変容で測られるのです。端的に言えば、教育的成果は、子どもたちの行動変容で測られるのです。力量のある教師とは、子どもたちの行動を変容させた教師のことを言うのです。 もちろん、それは外部からの強制ではなく、子どもたちの内面からの動き、つまり主体性に基づく変容であることは言うまでもありません。

とした上で、子どもたちの内面的な動き、主体性に基づく変容をもたらす方法論として、著者は教育現場で活用されているソーシャルスキルレーニングを紹介しています。

 

提唱者によっていくつかステップがありますが、主なものを並べると、図4-3のようになります。これらに共通するのは次の要素です。

①インストラクション

 言語的教示により、その行動の意味や価値を伝える。

モデリング

 やってみせることで、具体的なイメージをもたせる。

③リハーサル&シンキング

 解決策を考えさせ、練習させて、体験させる。

④トライアル&ウォッチング

 実生活の中で、その行動を試させ、そして見守る。

⑤フィードバック

 トライアルで見られた適切な側面を指摘し、強化する。また、不適切な面を指摘し修正する。いずれにせよ望ましい行為が増加するように促すエネルギーを与える。

 

つまり、子どもの主体的変容を実現することに成功している教師は、その日常の教育行為がソーシャルスキルレーニングの要素をもっていると言えるのです。

 

これを『学び合い』の語りと並べて考えてみると・・・

 

①インストラクション

 1人も見捨てない、全員達成がもたらす価値を伝える。

 それを実現させるために必要な行動やその意味を伝える。

モデリング(①に内包されるかな)

 子どもたちの姿や教師自身の体験談、たとえ話などを用いて、①で伝えた行動の具体的なイメージをもたせる。(子どもたちの実際のエピソードから語られるのが理想的)

③リハーサル&シンキング

 行動目標(5つのかける・5つのいく)をもたせ、課題解決に臨む。

④トライアル&ウォッチング

 授業中でその行動を試させ、見守る。良い行動も悪い行動も可視化する。

⑤フィードバック

 授業中に見られた適切な行動を指摘し、強化する。また、不適切な面を指摘し修正する。次回の授業で必要なことを考え、望ましい行動が増加するように促すエネルギーを与える。

 

語りも整理できるよね?

 

こうやって『学び合い』を他の先生方の言葉を借りながら、また再定義するという作業をずーっとやってます。きっと一流の先生方はこんな遠回りしなくても、『学び合い』を語れるんだろうな。この赤坂先生の本は、『学び合い』に興味のある人は是非読んで欲しい。

 

『学び合い』の抽象を理論立てて具体化する。その作業はそのほかの本を読むことで可能なはず。そのあとにまた抽象に戻れば良いんです。

 

あー不器用は大変だ。

 

※書き方のタッチは大分軽いです。悪しからず。

個に寄り添う『カンファランス』

1時間ごとの『学び合い』を経て、単元自由進度学習へと進んだクラス。教科書の基礎学習が終わり、テストまであと3時間。これまでの学習を振り返り、自分に必要な学習を進める時間です。この時間に差し掛かる手前で、単元計画表の振り返りをもとにした個別のカンファランスを進めています。

 

※単元計画表

単元計画が載っている一覧表。1時間ごとの課題に対し、自己評価として○△×をつけさせています。

 

「この学習の評価欄には△がついていたけど、復習はできてる?どんな感じ?」

「あー、そこは前の時間に復習した!何度も解いてたら、先生が教えてくれたこともわかったよ」

 

「振り返りに「割合が難しい。もっと勉強したい」って書いてあったよね。どんな感じで勉強する?一緒にやり方考えてみようか?」

「うん、そうする」

「まず、割合の問題は教科書の…ここにあるから…」

 

Twitterで話題になっているけテぶれ学習のように、振り返りから課題を抽出し改善を試みていく習慣が身についていれば、教師からの細かな働きかけは必要ないのかもしれません。が、大切なことは、振り返りを生かした学びを、自分で進められる子もいれば、伴走が必要な子もいるということを把握していること。そこに教師が必要な視点や技術を提供すること。

 

こんな話をすると、「それは『学び合い』じゃない!カンファランスしてる間、周りが見えないじゃないか!」という人がいらっしゃるんですけど…(この話、お決まりになってきてますね笑)

 

集団を動かすことばかりに視点がいくと、個が見えなくなること、私はあるんだけどなぁ。