空飛ぶかめ

小学校での実践について、あれこれ記録します。

語ったことは何度でも!

『学び合い』をはじめて、約3か月が経ちました。3クラスともそれぞれの成長曲線を描き、自分で必要な学習方法を決め、自分から学びとろうとする子どもたちが増えてきました。ただ、3か月経ったからという訳ではないのですが、一番大切にすべきことへの意識がちょっと薄らいできているようにも見えます。

 

それは「分からないときは聞いた方が得」であること。

 

単元の中でも難易度の高い内容になると立ち止まってしまう子たちの姿がまだまだ見受けられます。単元自由進度の『学び合い』を始めてから「この時間に分からなくても、単元を通して分かるようになってね。」とよく伝えています。でも、この言葉は子どもたちに安心感を与える一方で、学習に怠慢さをもたらしてしまうこともあるかもしれません。そうなるのは私の語りがまだまだ甘いから。そんな誤解を生まぬよう、何度も何度も原点に立ち返って語るのです。(語りだけに頼るのは…という議論はひとまず棚に置いておきます。ここはあくまで語りの必要性と浸透性を考えましょう)

 

実際は分かりませんが「今日は手を抜いてもだいじょうぶ。明日がんばればいいや」という言葉に変換して受け取られていたら・・・単元自由進度をやる意味なんてなくなります。「本当のわかる」にたどり着く学びの価値を理解した子どもたちは、その時間に分からなかったことを休み時間に解決しようとしたり、放課後友だち同士で相談したり、もう一踏ん張り家でも考えてきたりと、授業後の姿に変容が見られるようになるものです。「くそぉ。分からなかった。次こそはがんばるぞ」とどれだけ思えているか。この状態になるまでは、繰り返し「学ぶこと」について語る必要があるでしょう。

 

「分からないのにじっとしているのはもったいないよね。友だちにヒントをもらうのか、答えを見てから考えるのか、答えを見てから友だちと相談するのか。「分かる」にたどり着くための道はたくさんある。考えてみなよ。放課後もよく遊ぶ、でも算数は苦手なBさんと、学校で少し喋る程度の算数を教えるのが得意なAさんとだったら、どちらの力を借りた方が算数得意になれそう?Bさんの方が話しやすいかもしれないけど、Aさんに聞いた方が「算数」は分かるようになるかもしれない。仲の良い友達といることが目的になっちゃうと、学び合うふりをしちゃうよ。

 

繰り返し何度も語ることに対し、子どもたちが「またその話!?」という顔をするから言いにくいと仰る方がいます。でも、それは教師自身が「また言わないといけないのかなぁ。何回いえばいいんだよ」と思ってるからじゃないかな?


「10回言ってダメなら、100回言え。それでダメなら1000回や。1回言って変わるなんて、そんな楽なことはない。それがこの仕事の大切なこと」

1年目に組んだ大ベテランの主任に言われたこと。極端な例ですけど、僕の心にこの言葉は生きています。