空飛ぶかめ

小学校での実践について、あれこれ記録します。

「覚悟や願いが足らない。」は助言として果たしていいものなのか。

「『学び合い』がうまくいかないんです」

 

「そうかー、それは本気で1人も見捨てたくないと願えてないからじゃない?」

「『学び合い』を成功させられる人は目先のことじゃなくて、10年、20年、30年先の子どもたちの幸せを願っている」

「『学び合い』はあり方だよ。あの人が担任なら、子どもたちは全員学びに向かう」

「覚悟が足りないんだよ。全員達成しよう!って本気で思ってる?」

 

というアドバイスを教員2年目のときに頂きました。

 

素直に反省しましたよ。 

 

「あぁ、『学び合い』とは結局その人の心次第なんだ」と。

 

それから覚悟を決めて、『』の本を10冊ほど読み、実践者のブログを読み、これまでを振り返り、二学期から本気の実践がスタートしたわけです。

 

最終的には、各々が必要な学習を自分のペースで進める。時間割の枠にとらわれな授業ができるようになるまで、子どもたちは成長していきました。

 

metch96.hatenablog.com

 

 

 

でも、まだ腑に落ちないところがあって。

 

 

例えばさ、「『学び合い』がうまくいきません 。何が足りないのでしょう?」と質問されたら、どうするのか。

 

先に述べたように「あなたの心次第です」と答えるだろうか。当時の自分はそれで火がついたわけだけれども。

 

「えっ、俺本気で1人も見捨てたくないって思ってるよ。結局は本気度?人間性?滝修行でもして、強い心身につけろってか?」みたいな極端なことを考える人がいてもおかしくないわけです。

 

 

「上手くいかないんです。どうしたらいいですか?」

「心次第だ!願いが弱いんだ!覚悟が足らないんだ」というアドバイスは、必要なときもあるんでしょうけど、それだけではなんか解せないというか、実践者を今一歩前に進ませるアドバイスとしては物足らない。


 もしアドバイスをするなら、具体的にどうすれば良いか、その心やあり方をバージョンアップできる方法も伝えないと不十分じゃない?と最近は思うわけです。

 

心やあり方、人間性だけを指摘されると辛いもんです。

 

だからこそ、「心」や「あり方」が現れる瞬間を自分で客観的に見たり、比較したり、指摘してもらったり、やはり第三の目が必要なんよね。

 

今日はここまで。