「覚悟や願いが足らない。」は助言として果たしていいものなのか。
「『学び合い』がうまくいかないんです」
「そうかー、それは本気で1人も見捨てたくないと願えてないからじゃない?」
「『学び合い』を成功させられる人は目先のことじゃなくて、10年、20年、30年先の子どもたちの幸せを願っている」
「『学び合い』はあり方だよ。あの人が担任なら、子どもたちは全員学びに向かう」
「覚悟が足りないんだよ。全員達成しよう!って本気で思ってる?」
というアドバイスを教員2年目のときに頂きました。
素直に反省しましたよ。
「あぁ、『学び合い』とは結局その人の心次第なんだ」と。
それから覚悟を決めて、『』の本を10冊ほど読み、実践者のブログを読み、これまでを振り返り、二学期から本気の実践がスタートしたわけです。
最終的には、各々が必要な学習を自分のペースで進める。時間割の枠にとらわれな授業ができるようになるまで、子どもたちは成長していきました。
でも、まだ腑に落ちないところがあって。
例えばさ、「『学び合い』がうまくいきません 。何が足りないのでしょう?」と質問されたら、どうするのか。
先に述べたように「あなたの心次第です」と答えるだろうか。当時の自分はそれで火がついたわけだけれども。
「えっ、俺本気で1人も見捨てたくないって思ってるよ。結局は本気度?人間性?滝修行でもして、強い心身につけろってか?」みたいな極端なことを考える人がいてもおかしくないわけです。
「上手くいかないんです。どうしたらいいですか?」
「心次第だ!願いが弱いんだ!覚悟が足らないんだ」というアドバイスは、必要なときもあるんでしょうけど、それだけではなんか解せないというか、実践者を今一歩前に進ませるアドバイスとしては物足らない。
もしアドバイスをするなら、具体的にどうすれば良いか、その心やあり方をバージョンアップできる方法も伝えないと不十分じゃない?と最近は思うわけです。
心やあり方、人間性だけを指摘されると辛いもんです。
だからこそ、「心」や「あり方」が現れる瞬間を自分で客観的に見たり、比較したり、指摘してもらったり、やはり第三の目が必要なんよね。
今日はここまで。