アンケートから作る『学び合い』
社会科の『学び合い』について、振り返りジャーナルに評価をつけてもらった。
振り返り項目は次の3つ。
①授業はどんな感じ?うまくいってる?
②社会科を『学び合い』で進めるメリット、デメリットって何?困っていることはある?
③授業への希望、その他なんでも
ドキドキしながら、振り返りジャーナルを読むこと31人分。全員の希望は『学び合い』で社会科を続けたいということだった。(自分の一斉授業は相当不味かったのか、、、苦笑)
意外だったのが、社会科のNHK動画は必ずしも必要ではないという意見。動画を見てしまうと、自分で調べる必要がなくなるし、10分見続けたからってすぐ理解できるわけでもないとのこと。イメージを深める程度なら数分でいいらしい。
NHKの動画がないとイメージが深まらないし、授業が成り立たないのではと思っていたが、どうやらそうでもないらしい。要は使い方次第。10分間動画に使うなら、10分調べたり、まとめたりする時間を増やしてほしいという要望が半分を占めていた。
改善点としては、資料集にも辞書にも載ってない用語が課題にでてくることがあるので、そこの解説をもう少ししてほしいという意見があった。これはぼくの反省点。自分でも課題を出した後にまずいと気づく事が多々あった。教材の確認不足だ。
社会科はずっと『学び合い』でいい。
社会科は一斉指導の方が良いのではと感じていた自分にとって、この言葉は嬉しくもあり意外でもあった。
さぁ、これからが大変だ。
だってずっと『学び合い』だもの笑
未来のために広めたい。
『学び合い』の考え方を学年で共有する。
各教員がその考えに共感し学級経営をする。学年単位で「1人も見捨てない」集団が育っていく。その状態で中学に送れたらって妄想する。
自分から仲間を得られる力はついているか、
仲間に力を貸してあげられる人になっているか。
中学校でクラスが変わったら、不登校になりました。じゃ悲しい。(不登校が悪いってわけではないです)
今のままじゃ、クラスのメンバーでしか支えられないかもって思って焦っている。
自分のクラスだけで『学び合い』をすることで、今のクラスでしか支えられないってことになってないだろうか。
10年後、20年後に相談できる仲間はいるか、
仲間に力を貸してあげられる人になっているか。
クラス単位より、学年でそんな集団になって、次のステージに進んでほしい。
中学で『学び合い』はあるかな。
もっともっと『学び合い』を広めなきゃ。
『学び合い』の授業展開をいじってみる
単元自由進度の『学び合い』を進めるとあることに気がつく。
「語り→問題解決→振り返り」でさえも、授業展開として窮屈になることに。
そう感じるようになると、新しい授業展開が自分の頭の中に立ち上がってきた。
まだ完璧な形ではないが。
「振り返り→問題解決→予告」に近い形になるかな。つまり、オープンエンド。
チャイムがなるまで学び続ける。
まだこれがいいって確証はないが、今日試して見た結果は悪くない。
『学び合い』を進化させる
比例の単元自由進度の学び合い。
平均点78点。
うーん、もうひと越えできるはず。
気軽に相談しあえる関係性はできてる、けどまだ甘い。
何が甘いって、分かったつもりで止まっている子が多い。厳しさが足りない。僕も子どもたちも。
テストでの自力解決となると解けなくなってしまう。ほんとの「できる」にたどり着いてない状態。環境整備も甘かった。
もう1つ上の『学び合い』へと進もう。
そのために必要なことは見えてきている。
まずは授業の展開を変更。
これまでは 毎回[語り→問題解決→振り返り]だったけど、次回からは
①語り→学び合い
②振り返り→学び合い
③振り返り→学び合い
オープンエンドで終わろうと思う。
理由はまた後日に。
振り返りから学級通信を作る
謝ることで深まる信頼
昨日のエントリー
http://metch96.hatenablog.com/entry/2017/11/16/210105
で書いたように、昨日は教員のあり方として大いに反省することがありました。
仕切り直すために、なにより子どもたちに申し訳ない気持ちでいっぱいだったので、早速子どもたちを集めて謝りました
「勘違いしてたのは先生だったよ。任せるって言ったけど、結果的に君たちを見捨てていたんだと思う。そんなつもりじゃなかったんやけどね。きっと、任せるって言われて、不安になった人がたくさんいたと思うんだ。もう一度やり直させて。先生も君たちのチームの一員です。だから仲間として積極的に意見を言ってきます。最高の文化祭にしよう」
子どもたちは真剣に話を聞いてくれた。
じっと見つめてくれた。残り1週間、仲間として一緒に進んでいこうね。
任せると放任は違う
今日は教科ではなく、文化祭の準備をプロジェクトアドベンチャーや『学び合い』の型にはめて進めた。出店の中身は、劇と障害物リレー(サスケ)だ。
「君たちの祭りだから。先生はできるだけ声をかけないようにするよ。先生色にそまったお祭りになるのは嫌やろ?自分たちもみんなも楽しい祭りにするために、自分たちで考えて進めていくんやで」
練習はうまくいくところと、そうではないチームに分かれた。
真剣にやる子。
意見の対立。
自分のことやりつつ、他人の世話をする子。
チームごとの比較をしちゃう子。
おふざけムードに突っ走る子。
予想していた通り、起きそうなことが起きた。
じゃぁ、子どもたちの責任か?と言われるとそうではない。今回の時間は、PAでもなく『学び合い』でもなく、ただの放任だった。
任せるってのは、任せた方にも責任が生じる。僕はその責任を取る覚悟を持てていなかったんだ。
何でもかんでも、
自分たちで解決していこう。
思いはステキだ。
でも「あとは任せるよ。ハイどうぞ」という任せる宣言ってのは、簡単に出せるけど、簡単に考えてはいけない。
・時間が限られている中で、「任せて、失敗して、振り返って、次につなげる」という振り返りのサイクルは回せるのか?
・やり直すチャンスはある?
・時間軸で考えたときに、優先させるべきは振り返りサイクルによる成長?それとも成果?だとしたら教員の介入は必要?
中には、本番までの練習の少なさに焦り、涙する子もいた。
前回のエントリーでは「責任は君たちにある」と書いた。
でも、今回は見極め甘かったんじゃないか?
任せるための条件って、やり直すチャンスがあるってことなんじゃないのか?
真剣に考えろ、俺。
君たちの責任なんだよ
算数、単元通しの『学び合い』
「はい、どうぞ」でスタート。
その中に気になる子が1人。
ノートに問題番号を書いたまま先に進まない。
隣の子と何か雑談をしてる様子。
その子は笑顔で雑談に応じる。
近くに行こうと思ったが、やめた。
無言のプレッシャーでやらせても仕方ない。
観ることにした。
15分経過。
状況は変わらない。
20分経過。
問題を解き始める。
30分経過。
終了。
解く途中で終了。
子どもたちには次のように語った。
「今日はね。自分を全然大事にしてない、仲間を大事にしてるようでしてない人たちがいた。隣で適当にやってる仲間がいたのに、『そのまま適当でいいぜ。ほどほどでいこうぜ』みたいな感じだったんだよ。ほんとはそんなはずないのにさ。先生はね、気づいてたけど声かけなかったよ。だって、先生の役目じゃない。君たちの役目やん。仲間が全力出さないのは君たちの責任なんだよ。もう一度言う、これは君たちが乗り越えるべきことなんやで」
ときには直球で語らないと。
それを受け取れる子たちがいるから。
泥臭く、真剣に。