真っ白な紙とえんぴつと、それから。
伝えたい言葉を自分の言葉で届ける。誰かから借りるのではなく、いや借りたものではなく、自分の言葉として届けるために。何が必要か。
そんな時は真っ白な紙と一本のえんぴつを。分からなくなったら調べる、誰かに聞く、その前に。手を動かす。頭を動かす。伝えたい言葉を考えるときぐらいは、ネットやテレビ、本は閉じてしまおう。情報を遮断するんだ。とにかく自分の頭で考えるんだ。
そしたら思いつくかもしれない。手が止まるかもしれない。もう出し切れない。よし、誰かに…ネットで。ちょっと待って。
そうなったら寝よう。寝るんだ。睡眠はアイデアを閃かせるきっかけになる。少しのアイデアも温めておくと姿を変えるかもしれない。それでも進展がないのなら、やっとだ。聞いてみよう。調べてみよう。なんがじれったいなぁと思うかしれない。でも、自分で考える手間が大切だと思うんだ。自分の言葉で伝えるためには。
少し視点を変える。
3月の淡路島ファシリテーションの会。
「クラスには安心安全が必要だと思う」
「それって本当に必要なの?」
こう問われただけで、ボクは言葉に詰まった。
「安心安全だけではダメなのか?」
「いや、そもそもなぜ安心安全なのか?」
あれ?初めて安心安全について考えはじめている。1つの問いが自分や言葉を見つめ直すきっかけになったんだ。
社会の新聞づくりで、友だちの真似をして蛍光ペンを塗りまくっている子がいた。まずは真似するところからスタートする。花丸だ。
「先生ー!見て!カラフルになったやろ?」「お、いいねー!ちなみに色ごとに意味はあるの?」「あ、ほんまやな。えーっと、ほんまや」
その日の振り返りジャーナルでは、「次どうする?」の問いに、「蛍光ペンの色を適当にぬるんじゃなくて、意味を考えながら色分けしたい」と書いてあった。「蛍光ペンを上手に使うために大切なことは?」とクローズな質問をしたわけじゃない。その子が自分の気づきを書いたんだ。その子はその後も試行錯誤するだろう。早かろうが遅かろうが関係ない。変化していくことは成長なんだ。
自分1人で考えること。
考えるきっかけを問い1つであたえること。
今日はそんなところだ。