kana-senの七転び八起き

大阪の小学校教員かなせんです。『学び合い』の考え方で授業やクラス運営を行っています。発信内容は小学校教育や教師のスキルアップ、育児などから学んだこと。よろしくお願いします。

学習者のニーズと学習者に必要なこと。「知る」と「する」の壁

 迷っています。今年度から校内研修の企画担当になったのですが、講師の方にどのような研修をお願いしようか。ある子が求めている教育とその子に必要な教育は異なる場合が多いものです。それは職員の世界も同じで。今後の学校運営について考えるのであれば、やはり後者なのかな。


 かの有名なファシリテーターを話し方研修で学校にお招きし、話型を用いた対話練習法を教えてくださったけれど、残念ながらに実践者は1人も増えず。昨年度は私1人でした。もちろんその方にとって取り入れやすいものであるか否か、「どうしたらいいのか分からなかった」という声も聞こえてきそう。アフターフォローが大切なのか。


「知る」から「する」までの間がとてつもなく大きく感じます。それぞれに価値があると感じる実践が違うのは当たり前。ただ、自分が価値を感じる実践と子どもたちに求められることが一致していればそれでいいんだけれど、そうでなければ一歩踏み出さないと。チャレンジしないと。という話をもしされたら、同僚はどんなことを考えるんだろう…。

授業終了〜感謝と授業アンケート〜

 2ヶ月の育休から復帰してあっという間の1ヶ月半でした。まだ休んでた期間の方が長いんですね笑 大分と体力も勘も戻ってきたような気がします。


 さて、今週で担当している算数の授業もひとまず終了。25名〜30名×3クラスを担当しました。普段の授業とはかけ離れた授業に戸惑いつつも、こちらの想定を上回る力や結果を出した子どもたちに「ありがとう。よくがんばったね。…もし良ければ、2学期にまた一緒に勉強しよう」と伝えたいと思います。あっ、これはなおたかさんの影響受けてます。ブログを読んで感謝の気持ちを伝えるっていいなぁと思って。


 あるクラスは、昨日で授業最終だったので、最後に授業アンケートを取りました。アンケートの全内容は割愛しますが、一部だけ紹介。『学び合い』とこれまでの授業(一斉授業)どちらが良いかという項目では、26名中全員が『学び合い』が良いと回答してくれました。正直アンケートを読むときはドキドキしましたけど…感想を読むと自分の願いが届いているコメントもあり嬉しかった。最後の備考欄には子どもたちの鋭い分析もありました。2学期に生かしていきます。

結局精神論ですか?

『学び合い』は方法でしか考えられない。という意見に答えるとすれば、それは「本気で1人も見捨てたくないと思えていないから。心の底から願えてないから。」になる気がします。


結局、教師の肝がどれだけ座っているか。それだけで、語りかける言葉も表情も伝わってくると思います。


精神論かい!と言われそうですが…その通り。精神面のあり方がとてつもなく大切な実践です。再現性は高いけれど、ある一定ラインを超えるかどうかはその先生の覚悟なのではないでしょうか。

共通課題の『学び合い』と個別課題の『学び合い』

現在、1学期の復習に入り、3クラス中2クラスがセレクトタイムによる『学び合い』(個々に課題を選び、計画を立て学習していく方法)、残り1クラスは全員が共通の課題での『学び合い』と、大きく2つの進め方に分かれています。


その2つの『学び合い』を見てて面白いなぁと感じていることがあります。それは共通課題の『学び合い』をしているクラスの方が必死なんです。今回はあえて「全員で」という言葉を多用しているのですが、その言葉に応えようとする2割が、じわじわと6割の子たちに影響を与え、巻き込んでいく様子が授業を重ねるごとに目に見えて分かるのです。「おっ?この子は最初は6割、いやむしろ下の2割に近かったけれど、今はトップランナーに近づいてきているな」と感じられる子が増えてきました。


一方、セレクトタイムの『学び合い』。こちらの2クラスは共通課題での『学び合い』でも成果を残し、1人も見捨てないという願いが、集団の文化になりつつあるクラスです。そこで、この1学期の復習をするタイミングで、個々が自分に必要な課題を自由に選択して進める『学び合い』にチャレンジしてみてみました。1時間単位で「全員が〜できる」というしばりがなくなった分、大分とゆるやかな時間が流れるようになったのです。すると、まぁなんということでしょう。共通課題の時の方が緊張感のある雰囲気で取り組めていたのに、今回は集団の雰囲気がゆるゆるになってしまう現象が起きてしまったのです。


「あれれ?雰囲気は悪くはないんだけど、前まではこの2クラスの方が真剣な雰囲気だったのになぁ〜…」と感じたんです。


いろいろと理由を考えました。課題設定の裁量が教師から子どもたちへと移ってしまったからなのか。個々に別々の課題を設定することで、目標達成のモチベーションは集団ではなく個々でコントロールしなくてはいけないからなのか。例えば、「単元を通して復習していこう。」という感じで個々が自由に進めるのと、「5時間以内で〇〇と〇〇と〇〇のテストで100点をとることができる。」と明確な目標を全員に伝えて進めるのではわけが違います。まだなんとなくでしか分析できてませんが、集団の雰囲気に違いが出たことに面白さと探究心が湧いたのでした。今日はここまで。

セレクトタイムと課題本の『学び合い』



現在第1期として参加しています。

https://www.wlbc-kansai.com/education/%E6%8E%88%E6%A5%AD%E3%83%97%E3%83%A9%E3%83%B3/?mobile=1


昨年の3学期末、子どもたちが自身で計画的な学習をデザインできるようになるために、イエナプランのブロックアワーをイメージした自立学習タイムという時間を週に4時間導入しました。私は『学び合い』とイエナプランは親和性が高い部分があると思っています。もう一度イエナプランの実践を学びたいなぁと思っていた矢先、上記のお知らせがタイムラインに流れてきたのです。「チャーンス!」と感じて、即申し込み。第1回MTはズームで行い、発起人の川崎さんの実践「セレクトタイム」について学びました。


算数科は今週から1学期の復習。時数は5時間。取り組むにはちょうどいいかなと考えて、早速チャレンジ。子どもたちは異なる課題を進めていましたが、必要に応じて援助希求ができていました。やはり、これまでの『学び合い』で「分からないことがあったら聞こうね。困っている人が声をかけようね」という文化を育んでいたことがスムーズな導入につながったと感じています。しばらく様子を見て、成果と課題を整理していきます。


一方、3クラス中1クラスは課題本を使った『学び合い』でした。

小学校算数『学び合い』を成功させる課題プリント集6年生

小学校算数『学び合い』を成功させる課題プリント集6年生

内容は対称な図形。

今日も、これまでとは違う子どもの姿をめっちゃ褒めました。あー、もったいない。損だよ。ってことも伝えました。全員達成はできませんでしたが、そこに至るまでのプロセスは確実に良くなっています。自分にも友達にも100%の思いをかける姿や時間をかける姿のありがたさ、思いやりのある行動とは何か。そんなことを最後に話し合って終わりました。



 

その授業は誰のためにやってるの?

 今から8年前。教育実習生として入らせて頂いたクラスは、「学びの共同体」の実践をするクラスでした。机はコの字型。挙手と自由起立を組み合わせた発言を教師がファシリテートし、その場の流れで課題や問いが生まれる授業でした。主体的な子どもたちの姿や躍動感のある授業に感動する一方で、果たして自分はこんな授業をつくれる教師になれるのだろうか。と教師になること自体に不安を感じていました。特に、実習中の担当教官との会話は今でも心に残っています。


「君も学びの共同体にチャレンジしたくなったかい?」


「そうですね、あんな授業ができは教師になりたいと思いました。でもまずは普通の一斉授業をする教師になりたいです。」


「普通って何?」


「えっ、学びの共同体のような子どもの意見から作る授業ではなく、指導案の計画通りに…」


「そっかぁ。じゃあね、その普通の授業をするのは誰のためなん?」


「えっ…?誰のため?いや、いきなり学びの共同体なんて自信がないし…まずは指導書通りに」


「…自分が安心するためでしょ?まぁ、でも先生の不安に子どもたちは気づくからねぇ。自分が安心して実践できる方法が一番ではある。ただ、徐々に授業の軸足が自分から子どもたちに移るといいね。」


そこからです。指導書を一切見せてもらえず、学習指導要領と児童書だけを使った授業準備が始まったのは。まず授業のゴールイメージから、発問を考える。全くのゼロから授業を考える日々は正直に言うとかなりきつかったのですが、今は濃い時間を過ごさせてもらったんだと感謝できます。


授業の軸足はどこにあるのか。子どものためと言いながら、自分のためになっちゃいないだろうか。このとき教官にかけてもらった言葉が、また最近になってじわじわと身にしみるのです。


単元自由進度と「ごめんなさい」

あるクラスでは単元自由進度の『学び合い』がスタートしました。

 

 

 一方、他のクラスでは子どもたちに謝りました。導入の準備不足で価値のインストラクションもまともにできないまま、教科書の問題をつかって授業をスタートしてしまったからです。「ごめん、昨日は準備不足で君たちに伝えたいことをちゃんと伝えられなかった。ちょっと仕切り直しさせて。5分ください」と2回目の授業を始めました。課題の量も単元自由進度のクラスよりは少し少なめ。子どもたちへの働きかけも、全体だけでなく、個別に何度も「学び方や働きかけの仕方」を伝え、できる度に価値づけています。

 

自分の在り方は基本的に変わりませんが、語りと課題、可視化の声かけなど、3クラスそれぞれで差がでてくるようになりました。まぁ当然ですが。担任をもっていた昨年までにはなかったのことなので、とても良い学びになっています。

 

ドヤ!100点やで!

角柱と円柱の体積の単元テストが終了!平均点は93点でした。単元テストとしてはまずまずの平均点です。


さて、今回は超嬉しい事がありました。これまで、60点ぐらいしか点数を取れなかった男の子が、なんと100点を取ったんです!『学び合い』の最初の授業では、分からないことがあっても周りに聞けず、説明は面倒だからと説明する課題に中々取り組まなかった彼は、『学び合い』の経験を重ねるごとに積極的に友達と学び合えるようになりました。プレテストで結果が出ず、プリントをくしゃくしゃに丸めて悔しがるほど、真剣に学習に取り組むようになった彼は、たくさんの努力とたくさんの仲間のサポートで最高の結果を出すことができました。


やっぱり…『学び合い』はいいっすね。結果までの道のりにたくさんのドラマが生まれますから。授業で感動できるって幸せです。


テスト裏にはこんなコメントが…


「ドヤ!100点やで!かなせんと勉強したかいがあったわ〜」だって。


思わず職員室で笑っちゃったよ。


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教え子の近況

放課後、PTAの仕事で来校された教え子の親御さんと久しぶりに話をする機会がありました。部活動や勉強のことなど、いろんな情報を交換していると、やはり一番の悩みはザッ一斉講義型授業に苦戦しているとのこと。『学び合い』のときみたいに、好きなタイミングで友達や先生に聞ける授業が合っていたと。


「そうですかぁ。定期テストのときは友達と勉強してるんですか?」


「してますよ。放課後の学習で友達に聞いたり、確認したりして「なるほど!」となるみたいです。できれば授業でそれができるといいんですけどねぇ〜」


「そうですか。でも誰かに聞いて解決しようとする姿勢はちゃんと持ててるんですね。素敵です。でも普段の授業はやりにくさがあるんでしょうね。まだまだ講義型が主流ですから。なんか、申し訳ないなぁ…」


「いやいや、そんなことないですよ。娘が言ってたんですけど、娘のクラスだけ飛び抜けて作文力が高いそうなんです。」


「へー!そりゃすごい!」


「娘は自慢してましたよ〜。そのクラスには先生が担任していた子たちが一番多く集まってるクラスなんですって。『学び合い』で書く練習たくさんしたからやで、って言ってました。」


「おぉ!そりゃ嬉しいです。あのとき頑張ってた事が今につながってるんですね」


(省略)


親御さんの言葉に逆に励まされ、教え子の成長を感じつつ、一方でまた元の学び方に戻ってしまう。『学び合い』をもっといろんな人に知ってほしい。そんなもどかしさを感じる時間でした。


今は『学び合い』で学んだ事、経験した事が彼女の中に生き続けることを願うしかない。あとは自分にできることをやるのみ。


にしても道のりは長い。一歩ずつ一歩ずつ。

「ごめんなさい」と言わせてしまう僕らの在り方

机につっぷしたまま課題に中々取り組めない子がいます。毎年います。その子がなぜそのような状況になるのかは、個々で理由が違うため、その背景に関する言及はここでは控えます。

 

さて、そのような子を目の前にした私は「どうするのかなぁ~、どのタイミングで課題をやり始めるのかなぁ~、周りの子たちがいつ巻き込むかなぁ~」と思いを巡らせながら、その子を見つめます。

 

先週の授業でもそのような場面がありました。

 

場合にもよるのですが、そんな時は全体を見ながら、その子を意識して「もったいないなぁ~」と遠回しに言うことがよくあります。子どもたち全体に聞こえる声で、「今のままじゃ、損だよ。自分も周りも気づかないと」というメッセージを込めて。

 

 

今回はその言葉を使わず、じっと見つていました。すると、自分のことだと気づいた彼は次のような言葉を口にしました。

 

「あっ、ごめんなさい」と。その後、彼は周りの子たちから助けられながら、学習を進めていきました。彼の心の中は分かりませんが、恐る恐るえんぴつを手にとる感じでした。

 

そんなつもりではなかったのに・・・

私はとてもショックでした。「ごめんなさい」と言わせてしまったことが。

 

最後は次のような話をしました。

 

「先生に対して、「ごめんなさい」と言ってくれた子がいたけど、勉強を一生懸命しないからと言って先生は怒ったりはしないし、それであなたを嫌いになんでならない。でもね、何もやらないのはもったいないな~って思うんだよ。自分のためにならない時間を過ごしても仕方ないやろ?先生に怒られるから・・やる!じゃなくて、少しでもレベルアップするぞ!と思える時間に自分からしていきたいよね。」

 

 

とは言ったものの、やっぱり気になります。この「ごめんなさい」の一言が。やらな不味い。やらな怒られる。言葉の真意は分かりませんが、これって矢印が自分じゃなく他者(教師)にある状態なんですよね。これは想像ですけど、その子はそのような経験をたくさん積んできたのかもしれません。

 

 

恐怖でやらせる!指導は残念なことによく目にします。「ちょっとそれは・・」と意見しても「いやいや時には必要ですよ。ビビらせて分からせないとなめられます。」と言われたこともあります。でも、この指導って所詮は「怒られないように過ごす術」を学びなさいと言っているようなものなのでしょうね。