kanasenの『七転び八起き』

大阪の小学校教員かなせんです。『学び合い』の考え方で授業やクラス運営を行っています。発信内容は小学校教育や教師のスキルアップ、育児などから学んだこと。よろしくお願いします。

『学び合い』や実践記録の話〜SNSへの実践投稿は辞めます〜

 ここ最近「『学び合い』を辞めたんですか?」とDMでよく聞かれます。なんと言えばいいかなぁ。これまでは手元に置いてあったんだけど、今後は胸に閉まって置こうと思ってるんです。僕にとって、とても大切なもの。そこに変わりはない。だからこそ大切に閉まっておく。そんな感じ。


 あと、実践については安易に投稿しないことにしました。どの業界もそうだろうけど、実際のところ語れないことの方が多いじゃない?でも、その事実なしには実践なんて十分に語ることができないよねって改めて思ったわけです。その語れないエピソードの中に大切なものがあることって少なくないもの。あと、発信することが目的になると、気がつかぬうちに美化して見栄えを良くしようとする自分がいたんだ。それっておかしいよね〜。だから実践を投稿するのもつぶやくのもやめた。

 ブログにはたまにまとめるかな。あとはクローズな場で共有し合う。しばらくはこんな感じでいきます。

あははは!薄っ!!

[辞めたわけではないです]

 Kindle本の出版に向けて原稿を書いている。書くことで気づいた。自分の積み重ねや引き出しの少なさに。書けば書くほどに「なんと薄っぺらい実践内容!」と感じる。研究には程遠く、日々の実践を振り返り、紀要ような構成でまとめた日記。出版社を通してなど絶対に無理だ。

 

「こうすれば『学び合い』は成功する。」といった類のテーマは付けられない。そんなことを言えるほどの実践も重ねていない。「子どもたちと歩む『学び合い』〜はじめて『学び合い』に取り組むあなたへ(副読本)」程度になればいいところ。はっきり言えるのは、「もっと実践を重ねて研究しろっ!」ってこと。「たくさん挑戦して失敗しろっ!」ってこと。10年続けて文句を言えってこと。

 

ただ、書くことにチャレンジした価値はあった。自分のからっぽさと無力さに気づけたからだ。これから『学び合い』にチャレンジしたい人の参考程度になればよい。薄さは変わらないのだから、変な盛り付けをせず一気に書こう。

 

これから『学び合い』を始める方へ。基本は西川先生の本を読んで始めてくださいね。本に書かれてある通りに、です。「書いてある通り」に実践してみて、エラーがあれば修正する。まずは西川先生の提案通りがポイントだと思います。

『学び合い』が個々の学習ペースを大切にしていない実践と言われて、考えたこと

先日、ある投稿を見て感じたこと。

 


『学び合い』では、できていない子にできている子がサポートにいく場面が見られます。そのサポートはゆっくり考えたい子にとって、いらぬ御節介だという意見を頂戴することもあります。昨年は『学び合い』を続ける過程で、「1人で考えたいのに教えられてしまう。うっとしい」と振り返りに書く子もいてました。全員達成だけが目的になってしまうと、そのような『学び合い』になるのだと思います。一方で、自分からは声をかけられず助けを待っている子もいます。それで救われる子がいるのも事実なんです。ゆっくり考えたい子は「俺もうすこし考えたいから」と言って断ったり、「1人で考えたい」札を机の上に立てたりして仲間のサポートと折り合いをつけます。全員が一生懸命がんばったけど、全員達成はできなかった。結果は花丸です。頑張ったんですから。大切なことは「自分や友だちの学びがより良いものになるようにサポートし合うこと」その過程を経た全員達成に価値があるのだと思います。(誤解を恐れずに言うと、1時間で全員達成をゴールにする『学び合い』の期間は必要です。僕の場合)

 また、教科によって、「教える・教えられる」立場が逆転することもあります。それぞれの子どもたちには得意不得意があるので当然です。全教科とまではいかなくても、多くの時間で子どもたちに課題解決を任せると多様な『学び合い』が見られるようになります。「算数ではいつも教えられるけど、体育になると友だちのサポートが必要なんだ。いや、算数でもあの時は〇〇さんに教えてもらうこともあったな。そのときの自分次第で助けを求めたり、一人でがんばったり、どう学ぶか考えられるようになった」という気づ気も生まれます。(昨年の振り返りジャーナルより)

  『学び合い』がクラスの誰かの学び方を阻害していることに授業者が気づかない場合、それは子どもたちの学び合う姿に満足しているだけなのかもしれません。「全員達成」を目指すことが『学び合い』と解釈してしまっているのかもしれません。その表面的な姿に満足していては、適切なアセスメントはできませんし、次の一手も打てないのです。

1・2年目にチャレンジした「信頼ベース」の実践で、僕が見落としていた大切なこと。

2年ぶりの再読・・・

今日職員室で、岩瀬さんの本を再読した。

職場にずっと置いてあって、たまたま目にとまったんだ。 

よくわかる学級ファシリテーション?―かかわりスキル編― (信頼ベースのクラスをつくる)

よくわかる学級ファシリテーション?―かかわりスキル編― (信頼ベースのクラスをつくる)

 

 あと一ヶ月後には新たな立場で子どもたちと関わることになる。担任になれるかはまだ分からないんだけど。そんな時期だから、「学級開きはどうしよう」「出会った最初の日に、子どもたちへどんな言葉を届けよう」と考えることが増えていたんだ。このタイミングで、もう一度この本を手にとることができて本当に良かった。なぜなら、線を引く箇所も紐づく経験も、1年目に読んだときと全く異なっていたからだ。自分の経験値が増えてきたからこそ、見方や考え方が変わっていたのだろう。

 

提案通り実践をしていないから・・・

 誤解を恐れずに言えば、本書で紹介されている教室リフォームやプロジェクトアドベンチャー、振り返りジャーナルなどの実践はどれも真新しいものばかり。教室に畳を取り入れる提案なんて斬新すぎるよね。(僕は読売新聞の教育ルネサンスで取り上げられた岩瀬さんの教室リフォームの実践を知ったときは衝撃だった。結局、型破りな面だけに惹かれていたんだけどね…。そこに至る理念にも目を通していたのに…)

  私は1年目から、これらの実践を真似していった。「本の提案通り」進めれば、岩瀬学級と同じようなクラスを実現できると思っていたんだ。結果は・・・言わずもがなである。大失敗だった。理由は簡単。「本の提案通り」ではなかったからだ。

 

本書ではファシリテーターの技として次の5つが紹介されている。

技1 インストラクション(説明)

技2 クエスチョン(質問)

技3 アセスメント(評価)

技4 フォーメーション(隊形)

技5 グラフィック&ソニフィケーション(可視化&可聴化)

 1年目の僕に、特に欠けていたのは「技3アセスメント(評価)」だった。アイスブレイクやミニゲームをすれば、子どもたちの関係性は豊かになっていく。そう信じていた。きっと、「アクティビティが成功するか否か」に目を奪われ、「起きていること」に目を向けることができていなかったのだと思う。上手くいかなければ他のアクティビティにチャレンジし、パッチワークのごとく実践を重ねていった。実践の回数と反比例するように、子どもたちの関係性が徐々に冷えていたことにも気づかずに・・・。

 2年目からはちょんせいこさんのセミナーに参加するようになった。本を読むだけでは腑に落ちなかったことも、実際に話を聴くことで信頼ベースの実践をなんとなく理解できるようになった。それでも失敗ばかりだった。岩瀬さんやちょんさんの提案を形だけ追試することで精一杯。いや、形さえもできていなかった。子どもたちの心を温めたり、冷やしたりと自分勝手な教師だったと思う。なぜうまくいかないのか。繰り返しになるけど、それは「本の提案通り」ではなかったからだ。

 

セブン・イレブンじゃんけんの紹介ページでこのような記述がある。

ゲームで盛り上がったかどうかは問題ではありません。ファシリテーターは、「誰が声をかけていたか」「孤立しがちな子はどうしていたのか」など、ゲームに見える「子どもたちの関係性」を観察し、チームの成熟度をアセメントします。そして課題を引き出し、具体的な次の一手を提案します。このゲームが成立しなければ、もっとハードルの低いゲームから再スタートします。ゲームを通じて、意外な子同士が声をかけ合い、笑顔を共有する。子どもたちが、新たな関係性を育み、学び合う小さなきっかけをデザインし、一緒にチャレンジします。多様な関係性を温め育むプロセスを、積み重ねていきましょう。

・男女がうまく混ざれない時は→男子同士、女子同士の成立を目指す。

・ハイタッチが難しい時は→エアータッチでもOK!

・うまくつながれない子がいたときは→教師も参加し、声をかけ、つなげる。

という風に、子どもたちの関係性やチームの成熟度をアセスメントし、今必要とされる具体的な一手を提案する。チームのつながりを高め、学び合う関係性を育むために、常に子どもたちの様子をアセスメントしながら、プロセスをデザインする。「これが岩瀬さんの実践の本質なんだ!」と今更腹落ちしたのだ。あぁ、納得するまで時間かかりすぎだよ。ほんと。本書で紹介されているどの活動にも、その活動を通して集団の成熟度や個々の関係性を観ようとするファシリテーター岩瀬さんの姿がある。1・2年目の僕は見逃していた。だから「提案通りの実践」ができなかったんだ。

 

 

アセスメントから始まるプロセスデザイン 

インクルーシブ教育を通常学級で実践するってどういうこと? (インクルーシブ発想の教育シリーズ)

インクルーシブ教育を通常学級で実践するってどういうこと? (インクルーシブ発想の教育シリーズ)

 

本書は青山さんと岩瀬さんの対談本。ここでも興味深い記述がある。

 ユウキさんは、僕が勤務していた学校に4年生で転入してきたのですが、キレやすく、教室に居るのが困難で1日中保健室に居ることが多くなっていました。それで5年生から僕が担任することになりました。4月の最初に、クラスのみんなで行うアクティビティが「プロジェクトアドベンチャーのようなコミュニケーションや課題解決を中心に据えた活動だと、多分、ユウキさんは感情のコントロールが難しくなり失敗体験をしてしまう可能性が極めて高いと考えましたので、「まずは『教室リフォームプロジェクト』の中でユウキさんがどんな行動をするのかみてみよう」と思ったんです。・・・中略。「ユウキさんにはやりたいことがあって、それを止められるようなことを言われるとキレるんだ」とわかりました。

 そこで、まずはとにかく僕がユウキさんの側につねにいて、僕がユウキさんに仕事を依頼したり、活動にも気持ちよく参加できた、貢献できた、ということを体験することで、今度の教室は自分の居場所があるらしいということを実感できたらいいなと思いました。まずはユウキさんがキレるタイミングをつくらないように、教室を出ていくタイミングをつくらないようにと思っていました。

流れをナンバリングすると・・・

  1. ユウキくんのアセスメント
  2. 活動の選択(教室リフォームPJ)
  3. 活動中のアセスメント
  4. 教師の関わりを選択
となる。本書でも指摘されている「手段の目的化」の視点から見ると、「とりあえずプロジェクトアドベンチャーで成功体験を積もう」となれば、他者との関わりが苦手なユウキくんは4月早々から「失敗体験」を積んでしまう可能性があったのだ。岩瀬さんはユウキくんの現状から、教室リフォームの活動を選択し、ユウキくんの更なるアセスメントを試みたのである。この岩瀬さんの内面が詳細に記されていることに、この本の価値があるだろう。

 

 では今日はこの辺で。書けることは他にもたくさんあるので、また改めて記事にしていこうと思う。 それぐらい価値のある読書の時間だった。読み返せて本当によかった。来年度担任を持てたら、信頼ベースと『学び合い』とかじゃなくて、子どもたちの幸せを願う1人の大人として子どもたちの前に立ちたい。そのために必要なファシリテーションの技を学び直そう。

 

 

 

 

 

景色を限定する

「あの坂道」を登るのをやめて足元を見つめてみる。これまでの足跡をたどってみる。自分の目に入ってくる景色も限定しようと思う。しばらく。

 

 行きつけの美容師さんと断捨離について話題になった。西野さんのオンラインサロンにも入っている方で、個人の信用価値がこれから重要になってくると言う価値観も共有できる方だ。昨日1番盛り上がった話題は、「無駄に飛び込んでくる情報はなくした方が良い」ということ。そこで断捨離第一弾。「Twitterのタイムラインを見ない」ことにした。大地の会やブログ、しるし書店の情報は更新する。DMも返信する。ただタイムラインは見ない。 Twitterの中で何が話題になっているかわからないけど、特に問題はなさそうだ。

 

ニュートラルで見渡す

 ある出来事がぼくの在り方に急ブレーキをかけた。そこで決めたん だ。一旦高速道路を降りて、しばらくニュートラルで周りを見渡そうと。 実は薄々気づいていた。ただ前を向きながら「あの坂道」を登っていたことに。振り返ってみると、 道中にあるきれいな花や季節の合図に気づけない自分がいた。鳥のさえずりも美しい景色も見落としていたんだ。

 

前を見ることは大切だ。

「振り向くな!前を向け!過去に未来はない!」

一度は聞いたことがあるよね?

 

どうやら、今の僕にその言葉は適さないみたい。「あの坂道」を登るのはやめて、自分の足跡をたどってみる。すると何か見つかるかもしれない。急に重荷がとれた。

 

とてもいい気分だ。

『学び合い』の語りを「一方的な語り」から「共感できる語り」に変えるために必要なこと

昨日、以下のエントリーを書きました。

metch96.hatenablog.com

 

今日も上記の内容の続きを書いていきます。

テーマは「『学び合い』の語りを「共感できる語り」に変えるために必要なこと」

結論から言うと、「『学び合い』は簡単じゃない。と心から思えていますか?」この問いを教師自身が持てているかどうかです。「一方通行の語り」が「共感できる語り」に変わっていくキーとなる問いだと思っています。

 

 

抽象的なアドバイスでは納得できない。

「「1人も見捨てないは得であること」この意味をあなたが実感していない、もしくは本気でそう思えてないから『学び合い』がうまくいかないのです」

「1人も見捨てないを本気で求める覚悟が足りないからだよ」

 

『学び合い』実践者でこんなアドバイスをもらった経験がある方はいないでしょうか。私はあります。その後「あぁ、僕の気持ちが足りないのか」と素直に反省し、どうすれば「1人も見捨てないは得」と本気で語れるのかを考えました。時間があるときはずーっと。一方で、そんなアドバイスをもらうと「え?俺は本気で『学び合い』やりたいと思っている。見捨てたらいけないんだ!って本気で伝えている。それの何が間違っているんだ!」と憤慨する方もいるんじゃないでしょうか?でも現場では「伝わらない」という事実がある。一体何が足りてないのでしょうか。今日はこの「足りなさ」に焦点をあてて考えていきます。

 

『学び合い』のセオリーと現実との差

 『学び合い』のセオリー(西川先生の考え)では、全員達成(1人も見捨てない)の願いは2:6:2の比率で、集団の2割にその価値が伝わっていきます。(学級崩壊の法則も同じように語られていますね)これは各学級の実態にもよりますが、経験上私も同じような感覚があります。その後、中間層の6割にも伝わり、教室の各所で学び合いが起こるようになるのです。「反発する」子たちばかりに目を向けるのではなく、教師の腹の中を理解できる2割に伝わるよう心がけることが大切です。しかし、現実はそう簡単ではありません。語っても伝わっていない現実があるのに、語り続けても仕方ない。教師の気力が持たないよ!と思われる方もいるでしょう。それでは本題の『学び合い』の願いが伝わらない場合に欠けているも足りなさに迫っていきましょう。

 

『学び合い』はぬるま湯ではない。

過去の自分は次のことに自覚的になれていなかったような気がします。

 「1人も見捨てない」は簡単ではない。けれども、そのことを踏まえてもなお、「1人も見捨てない」を大切にできる仲間でいられる方が幸せなんだ」

 

 このことに教師が納得できているかどうかが、1人も見捨てないを語り続ける上で大切なことだと思うのです。全員が「1人も見捨てない」という考え方に共感する社会。そんな社会が本当に実現すると思いますか?悔しいし、切ないけど、それは難しいことだと思います。でも、その価値を分かっている人が1人でも多い社会にしたい。そう願っています。だから語り続けるのですよね?「1人も見捨てない」という言葉で救われる子もいれば、傷つく子たちもいます。関わりをもとうと思っても上手くいかなくて悩んだり、迷ったりすることだってある。決して簡単なことではないのです。そのことに教師自身がどれだけ自覚的でいられるか。『学び合い』が生み出す「傷」に自覚的になれれば、「反発する」子たちさえも愛おしくなります。毅然とした態度が求められる場面でも、語り口調に笑みが生まれるようになります。「よし!明日期待してるで!」って前向きに子どもたちの変容を待つことができるようになるはずです。

 

『1人も見捨てない』を語るその前に・・・あなたは実生活で1人も見捨てないを実践されていますか?1人も見捨てないって実は難しいことではないでしょうか?子どもたちに求めるその前に、自分の胸に手を当てて考えてみましょう。私はその難しさを自覚した上で語ることが大切だと考えます。それが「共感できる語り」への第一歩です。

 

 

 

全員達成(1人も見捨てない)の願いに「反発する」子がいたとき

先日のtweetを見て

 とある『学び合い』実践者のtweet。最後の語りで「全員達成(自分も含めて)に向けて動かない子たちがいたのに、何も指摘しなかいのは見捨ててることにならないか?」と指摘したところ、「先生何もしてないやん。職務放棄だ」と言われたそうです。このtweetを見たとき、自分も同じような過ちをしたことを思い出しました。この言葉を発した生徒こそ、教師に認めてほしいと思っているんじゃないかと。

2年前の過ち

 1年目の『学び合い』の失敗を糧に挑んだ2年目の『学び合い』。この挑戦も上手くはいきませんでした。集団から取り残されていくクラスメイトがいるにも関わらず、それに気づかない子どもたち。その姿に苛立ち、「何で見捨てるんだ!1人も見捨てるなと言っているじゃないか!なぜ分からないんだ!」と上から押し付けるような語りをしました。結果はご想像の通り。子ども集団の力学が良くない方向に働き、クラスは落ち着かなくなってしまったのです。どうすればいいのか分からなくなりました。解決策を見つけることもできず、アンバーな感じで振る舞う毎日。転機はあるファシリテーターの方とお話をさせてもらったときに訪れました。以下、頂いたアドバイスです。

 

①子どもたちの心の体力を温めること。

②『学び合い』実践者になろうとすることをやめること。

③どんなクラスがよいかもう一度子どもたちと話し合うこと。

④仕切り直すために、自分が感情的になったことを謝ること。

 

「1人も見捨てない」を押し付ける『学び合い』ほど、質の悪いものはありません。でも、当時の私は気づけませんでした。相談した翌日に、感情的に『学び合い』を押し付けてしまったことを詫びました。教師が過ちをちゃんと認めること。私の言葉に子どもたちは安心した様子でした。

「反発する」子たちへの向き合い方

さて、本題の全員達成(1人も見捨てない)の願いに「反発する」子に対してどう向き合うか。この問いについて、「これが解決策です!」というものは提示できません。なおたかさんなら、古田さんなら、『学び合い』の先輩方ならどう答えるだろうか・・・おっと、先輩たちの知恵だのみになるところでした笑 自分なりの答えを整理しますね。

 

現時点で「私」が大切にするポイントを3つ書いておきます。

 

  1. なぜ『全員達成(1人も見捨てない)』を願うのか。それが得と言えるか。先生や子どもたちのエピソードで語る。対話する。それを続けること。
  2. 語る内容は3:1。子どもたちの良いところ3つ。気になるところは1つ。
  3. 「反発する」子たちへのアセスメントを怠らない。
ポイントは他にもありますが、まずはこの3つ。上手くいかなかった私に欠けていたものです。続きはまた後日。
 

 

 

 

 

 

下書きばかり

ブログを更新したい。しかし、下書きばかりがたまる。書きたい内容はたくさん思いついているのに、簡単に表に出したくないのか、加筆修正ばかりだ。本を読みふけり、頭に浮かんだ問いやひらめき、反論をメモする。その後、関連のある記事に追記する。その繰り返しだ。しばらく、こんな日々が続くだろう。

子どもたちの対話を覗く〜「1aは100㎡やろ?」

C1「俺、説明できるで!」

T「お!!先生にやってみてよ」

 

C1「まずなぁ、10m×20m=200㎡やろ。でもこのクラスメイトは答えを200aって言ってるやん。これはおかしいねん」

 

T「というと?」

 

C1「答えは2aやねん。どう?あってるやろ?」

C2「えっ、なんで2aなん?」

C1「えっ!?だって2aやん」

C2「ちゃうやん。それじゃ理由にならない」

C1「えー!どうやって理由って説明するん?」

C2「例えば、この面積の関係図を見てよ。1a=100㎡やろ。このクラスメイトは1㎡=1aと思ってるから、答えが200㎡になるんやん」

C1「あーあ!!わかったぞ。もう一回聞いて」

C2「うんいいよ」

C1「なぜなら、1a=100㎡だから、200㎡は1aの2つぶん。答えは2a!!」

C2「合格~!!!」

 

最後の5分。C1の子が仲間と学んでいる。

それが何より嬉しい。